東京23区にある動物の公園遊具5選 / ゾウに子ジカにダックスフント / 海に暮らすイルカや伝説のユニコーンまで
公園遊具には動物さんがたくさんいることに気づいたのでご紹介。東京23区編。
新宿区「あかぎ児童遊園」の2匹のゾウ
関東でまず訪れたいのが新宿区にある「あかぎ児童遊園」。何と言っても巨大なゾウの滑り台がお出迎えしてくれる。しかも、地形を活かして2匹のゾウが合体して、連結した滑り台になっており、滑ると意外に急で、大人も子どもも楽しめるはずだ。あかぎ児童遊園は、小さな動物遊具があったり、舗装路がワニの形になっていたりと、公園全体で動物を堪能することができる作りになっている。
あかぎ児童遊園 詳細
所在地:東京都新宿区赤城下町21番地
アクセス:東京メトロ東西線神楽坂駅 徒歩5分、東京メトロ有楽町線江戸川橋駅 徒歩8分
開園時間:4月~10月 8時~18時、11月~3月 8時~17時
開園年月日/改造年度:昭和44年11月27日 / 平成4年度
面積:611.24平方メートル
大田区「本町児童公園」の子鹿とダックスフント
大田区にある「本町児童公園」は、住宅街の中にあるポツンとある小さな公園。砂場やすべり台など普通の遊具の中に紛れて、忘れられない動物さんが2匹いる。子鹿と犬のダックスフントだ。公園のなんとも中途半端な位置に置かれ、互いが近すぎるほど、近距離で見つめ合っている。愛くるしい2匹に会いに行ってほしい。
本町児童公園 詳細
所在地:東京都大田区大森本町1丁目9−16
アクセス:京浜急行本線 平和島駅 徒歩10分、大森海岸駅 徒歩15分
開園時間:公園内に記載なし
開園年月日/改造年度:1971年(昭和46年)
港区「芝浦公園・本芝公園」の海を生きるものたち
動物は陸を生きるものに限らない。海の生物だって公園遊具になってしまう。港区「芝浦公園」はイルカさんとクジラさんの遊具が置かれている。東京湾に近い立地を活かしたからこそだと思うのだが、近くの海を公園遊具でイメージさせるなんて、とてもいい試みだ。近くの本芝公園には、立派な船と貝殻遊具もあるのでお見逃しなきよう。
芝浦公園 詳細
所在地:東京都港区芝浦一丁目16番25号
アクセス:JR京浜東北線 田町駅 徒歩5分
開園時間:公園内に記載なし
開園年月日/改造年度:調査未
面積:面積:6,800.94平方メートル
文京区「カイザースラウテルン広場」の伝説の動物
文京区にある「カイザースラウテルン広場」に行けば、伝説の動物だって公園遊具になってしまうんだということを感じられるだろう。伝説の動物であるユニコーンや人面魚、アンモナイトやカタツムリなど不思議な遊具が置かれている。この広場は、文京区とドイツのカイザースラウテルンの友好の証であり、ドイツの彫刻家ゲルノト・ルンプフ氏と夫人バルバラ・ルンプフ氏の二人によって制作された。
カイザースラウテルン広場 詳細
所在地:東京都文京区大塚3丁目1−11
アクセス:丸ノ内線 茗荷谷駅 徒歩2-3分
開園時間:公園内に記載なし
開園年月日/改造年度:1993年(平成5年)
台東区「三筋児童遊園」の細長スペースにゾウくん
最後は台東区にある「三筋児童遊園」。この公園、とにかく細長い。ここまで細長い公園を見たことないのだけれど、わずかなスペースを活かして公園が作られた。真ん中にあるゾウの滑り台は、あかぎ児童遊園に比べるとかなり小柄でキュート。ちょっと寂しさだって感じてしまうから、ぜひこの子に会いに行ってほしい。
三筋児童遊園 詳細
所在地:東京都台東区蔵前4丁目18-7
アクセス:都営大江戸線 蔵前駅 徒歩10分
開園時間:公園内に記載なし
開園年月日/改造年度:昭和30年1月30日、昭和56年に改造
これまでいくつもの公園に行ってきて、動物をかたどった遊具が本当に多かった。
今回のもの以外にも、サル・ライオン・ブタなどなど多くの動物遊具が存在する。
しかもそれぞれ表情も異なるからまた愛くるしい。
あなたの街でも探してみてほしい、そしてmonokannに教えてほしい。
きっと楽しい動物たちがあなたを待っているはず。
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"鬼ヶ島公園" 春日井市 / コワモテ赤鬼とスレンダー青鬼 / なぜ海もない地に"鬼ヶ島"と名付けたのか?
海もない、島もない、そんな場所に「鬼ヶ島」。
ニュータウンの町中に「鬼ヶ島公園」
愛知県春日井市。名古屋市の北東部に位置し、平野や丘陵が広がる地域。名古屋からの利便性を活かして、1968年ごろから「高蔵寺ニュータウン」というベッドタウンとしても多くの人々が住み始めた。日本では二番目に古いニュータウン開発の地域となる。
そんな海とは関わりのない町の中に「鬼ヶ島公園」という小さな公園がある。完成は1987年(昭和62年)3月から。入り口の看板は寂れて、文字が読みづらくなっている。
中に入ってみると普通の遊具があるかと思いきや、何やら怪しげな物体が2体いる。赤い物体と青い物体。。。なんだあれは??
赤鬼はギラギラムキムキ
まずは赤い物体から近づいてみよう。この色合い、後ろ姿、たぶん
鬼だ!
右から見ても左から見ても、全身赤色で黒いこん棒を持った赤鬼。腰を下ろしあぐらをかきながらギラギラした形相でニラみつけてくる。しかもムキムキ。腰を下ろした状態で、1.8メートルから2メートルぐらいありそうだったので、もし立ち上がったらかなりの大きさだろう。
周りを一周したり、あぐらをかいた中に入ってみたり、間近でじっくりと見させてもらったのだけれど、これはトラウマになりそう。でもちょっとコワモテなだけで、なんだか優しげな感じもする。真相はいかに。
(ちなみに、monokannの甥っ子は鬼の写真を見せたら大泣きして、鬼を直接見たら木の枝で攻撃をしていたから、小さい子としては本能的に敵対してしまう存在なのかもしれない。)
青鬼はスレンダーポーズで待ち受ける
青い物体にも近づいてみると、こちらは青鬼!
黒目が両側に離れ、鼻は大きく、顎が出て、ちょっとムッとした顔をしている。でも、眉は細めで清潔感がある。(そういえば赤鬼は眉毛なかった。)赤鬼よりも顔のインパクトが強いので、余計に顔が大きく見える。
真横から見ると、巾着のような物を抱えながら、足をピンッと伸ばしてかなり苦しい体勢をしている。なんでこんな体勢をしているのだろう?
滑り台だった!これは感動した。子供達に背中を滑らせるために、健気にきつい体勢をしている青鬼さんには頭が上がらない。そして、「鬼の背中を滑り台にしよう!」と考えついた実行してしまった当時の公園課の方か制作会社さんも思い切ったことをしたもんだ。
滑り方は簡単。巾着袋に乗り、
青鬼さんの頭の部分から滑るだけ。滑る際は持ち手がないから気をつけよう!
なんで鬼ヶ島公園なのだろう?
園内のトイレの壁面にも絵が書かれている。トイレは一つだ。
「みんなで遊ぼう!夢の地 鬼ヶ島」
桃太郎・キジ・サル・犬がいて、真ん中にちょっと困り顔の赤鬼がさっきの青鬼の体勢をしている。先ほどの赤鬼や青鬼、この壁面も含めて、全体的に塗り替えが行われているようで、過去の写真よりかはかなり綺麗になっている。そういえば、なんでこの公園には桃太郎たちはいなくて、鬼がピックアップされているのだろう。そして、「鬼」の字が今使われている字とは少し違うことに気がつく。
トイレの裏側にも「鬼ヶ島公園」という記載。こっちの鬼の字も少し違う、旧漢字だろうか。
photo: ヤフオク! - 180608x 名古屋叢書 第6巻 地理編(1)
ではなぜ、海もないこの春日井市に鬼ヶ島公園と名付けられた公園ができたのだろう。春日井市役所 建設部 公園緑地課 施設担当さまに質問をしてみた。
monokann:「なぜ鬼ヶ島公園は、"鬼ヶ島"という名が付いているのでしょうか?」
施設担当さま:「こちらの公園は、当時区画整理が行われる際に築造した公園です。 鬼やトイレ壁面のデザイン、公園築造時の話や業者についての資料がなく、市でも把握していないのが現状です。」
photo: 源為朝 - Wikipedia
やはり昔の話で資料がないのか、残念。しかし、加えて春日井の鬼ヶ島伝説について書かれた郷土誌を紹介してくれた。
「鬼ヶ島と名付けられた話」1
話は平安時代の源為朝(ためとも)まで遡る。源為朝は、源頼朝の叔父にあたり、巨体・弓の名手などの噂があるほど英雄的な存在とされていた。そんな源為朝は伊豆半島にいる際、別の島があると気づき、たどり着いたのが鬼ヶ島の言い伝えがある島(今の八丈小島あたり)で、その島を武力で征圧した。今でも八丈小島には為朝の明神があるという。
「鬼ヶ島と名付けられた話」2
為朝の息子"鬼頭義次"にまつわる話。
為朝が伊豆大島にいた際、息子義次も一緒におり、為朝と同様に腕の立つ武人だった。最初の義次の性は「尾張」であったが、その強さを活かし鬼ヶ島を征圧し「鬼頭」の性を賜ったという。その後の室町時代まで、鬼頭家は国侍として武名を誇っていた。
※義次のお話はこちら 『金鱗九十九之 巻68』/ 桑山好之
"鎮西八郎為朝自殺のとき、妾既に懐妊して八月に及べり。彼妾其難を遁れ、上方に趣んと欲る道すがら、尾張国古渡の地に止り、ここにて一男子を産めり、是則ち尾藤次郎義次と号せり。強剛にして無法の人なり。百姓等是を歎きて、皇都に奏聞す。帝謀を廻らし給ひ、義次を内裏へ召されて、紀州焼山に悪鬼あり、それを退治せよと勅有て、その鬼のために義次を失はんとの事なりしが、義次はそれを不知、誠に討手と思ひ勢力はげみ安々と悪鬼を亡し、そが鬼の頭を取て、都に是を常に奉る。夫より義次に鬼頭の姓をぞ賜はりけるとなり。"
また、江戸時代に為朝・義次の子孫"鬼頭景義"は尾張藩の農業開発政策を実施し、膨大な新田を開拓したという。藩主から景義に感謝状が与えられたり、特別な行事が行われたりするほど、大変な功績となった。そして、新田の名は開拓した地主が付けることが多くある。過去の文献でも、春日井市周辺には「鬼ヶ島」や「為朝」の地名が多く残っている。
為朝・義次・景義、それぞれの強さや功績があったからこそ、現在も春日井に「鬼ヶ島公園」という名が残っているのだろう。ここまで考えて名付けるなんて、春日井市の方も相当に愛情深い。
平和な世にも地への愛情を
公園内には、赤と青のベンチもあり、サルとウサギが形取られている。
サルは鬼ヶ島に関連するのでわかるけれど、ウサギはなんでだろう?これは施設担当の方も知らなかった。
公園としては、住宅地の中にあるごくありふれた公園。
そこにただ、
2匹の鬼がいるという日常。
青鬼さんからは、「滑るなら気をつけて滑れよ!」「いつでも気軽に来てくれ!」と、温かな声をかけてくれそうな気もしてくる。
そして、公園外には「とびだし注意ちゃん」もいるから、車にも気をつけよう。
その地を愛するということは、その地を理解するということとイコールなのかもしれない。
過去の偉人たちの苦労や功績があったからこそ、自分たちは今その地で暮らせているのだとしたら、その名をその地に残していくことはとても大切なことのように思う。
「尊敬と感謝」
そういう言葉にも置き換えられそうだ。
どんなことにも忘れないでいたい気持ち。
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*引用・参考
・春日井市役所 建設部 公園緑地課 施設担当様(心からありがとうございます。)
(春日井市ホームページ>市民生活ガイド>文化・スポーツ>春日井の歴史と文化財>郷土誌かすがい>郷土誌かすがい 第41号から第60号>郷土誌かすがい 第58号)
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"豊田大橋"のしなやかな曲線美 / なぜ黒川紀章設計は動物の骨をイメージしたのか / 肉付けは誰がする?
黒川紀章氏も恐竜に憧れていたのだろうか?
「豊田大橋」という存在
愛知県の名鉄三河線"豊田市駅"。駅周辺は、松坂屋やコンサートホール、飲み屋さんやビジネスホテルなどがありとても栄えている。そんな豊田市駅からから東に15分ほど歩くと矢作川という大きな川が流れているのだが、矢作川にかかる橋がとても違和感のある存在感を放っている。
少しずつ近づいていくと何やら大きな白い物体が見える。
これが「豊田大橋」。車と大きさを比べても圧倒的に大きく、形が妙だ。
黒川紀章は動物をも建築に活かす
「豊田大橋」は、一級河川"矢作川"にかかる豊田市駅と豊田スタジアムを繋ぐ道路橋。完成は1999年。全体の長さは474.5m、1つのアーチは約140mという大きさがある。橋梁形式は、"バスケットハンドル型ニールセンローゼ橋"と呼ばれる「吊り材にケーブルを使用しねじりの力を活かした形式」が採用されている。
意匠は、かの有名な黒川紀章氏(黒川紀章建築都市設計事務所)。豊田大橋は"動物の骨"をモチーフに作られたと言う。一説には恐竜の骨とも言われており、個人的には恐竜であってほしい気持ちの方が強い。夢がある。作り全体に鋼材を使用しこれまでのデザインとも逸脱した橋になったことから総工費は予定の2倍以上の100億円がかかったそうだ。それだけの大金を使用したので、建設当初は住民から反感を食らったようで、そりゃそうだと言う感じもする。しかし、作品としてとても興味深く面白いものだからこそ、建設していただいてありがたいとも思うので、なんとも複雑な気持ち。
豊田大橋の概要もまとめておこう
橋梁名:豊田大橋(鋼道路橋)
意匠:株式会社黒川紀章建築都市設計事務所
設計:パシフィックコンサルタンツ株式会社
竣工・開設:1999年
全長:474.5m(1つのアーチは約140m)
径間長 : 78.5m(単純)+140.0m(ニールセン)+140.0m(ニールセン)+58.0m(2径間連続)+58.0m(2径間連続)
通常部幅員:20.8m
橋梁形式:バスケットハンドル型ニールセンローゼ橋
架設工法:トラッククレーンベント架設
その他:耐震補強・補修詳細設計を2013年実施
橋からの景色を望む
豊田大橋から矢作川の下流側を望むと、国道301号線にかかる久澄橋(きゅうちょうばし)が見えた。久澄橋さんとしては、隣に豊田大橋みたいな妙な形の橋がいたら、ちょっとビクビクしてしまうかもな。骨丸出しだし。それとも二人は意外に仲良しだったりするのかな。
矢作川の河川敷は広場があり、とても空が広く感じる。河川敷に降りれば、豊田大橋を下からのアングルで見ることができる。橋梁観察は、「色々な角度から見て・往路と復路を渡って・利用されている材質を触って」をしていくことが本当に楽しいことだと思っている。
kk-alubaさんによる素敵なドローン撮影の動画があったので、貼らしていただく。橋を上から見るというのもまた楽しい見方だなって思わせてくれる。
豊田大橋を渡った先には「豊田スタジアム」があり、こちらの設計も黒川紀章氏。竣工は2001年7月。市制50周年記念事業の一部として作られた。4本のツノのようなマスト(柱)が存在感を放っている。豊田大橋を見にいくのであれば、豊田スタジアムもぜひに。
肉付けは誰がする?
"動物=野生的"だと考えるならば、デザインに動物を利用することで、無機質な橋梁に命を与えることができるのかもしれない。だからこそ、豊田大橋からは動きを感じることができる。
でも骨をモチーフにしたのはなぜだろう。
肉付けをしないということか、それとも後から肉付けをするということか。もし後から肉付けをするという考えなのだとしたら、その肉を付けるのは普段利用する住民の方々なのかもしれない。
体は骨のまわりに肉があり血が巡って動くわけだ。
潤滑としての役割を私たちは担えているだろうか
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*引用・参考
・建築物紹介:豊田大橋 | 建築物紹介サイト 【ARC STYLE】
・http://arc-no.com/arc/aichi/ai-toyotahasi1.htm
・豊田大橋|照明設計・ライティングデザインの作品集・事例集・実績|近田玲子デザイン事務所
・新建築 vol.74, 1999-09, p.182-189
・トラッククレーンベント工法 | 橋の架けかた | 橋について | 橋梁事業 | 株式会社駒井ハルテック
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秩父"贄川宿 かかしの里" 後編 / 聞こえてくる子供たちの声 / 生きている人が作った生きた瞬間
後編。数々のかかしさんたちが出迎えてくれた。
かかしサロンと手作業に込められた姿
前編に引き続き後編スタート。前編をご覧になっていない方は上記よりぜひ。贄川宿にて「歩くガイドブック」を手に入れ、「かかしサロン」「かかしP」「かかし広場」を目指すことにした。
まずはかかしサロンを目指す間、動き出しそうなかかしさんたちが家々の前であいさつしてくれた。
「ここがかかしサロンかな?」と辿り着いたのだけれど、戸が閉まり中は見えそうにない、、、と思っていると反対側のお宅から穏やかな表情をした女性が出てきた。
女性「かかし見にきたの?」
monokann「はい!」
女性「今、そこ開けてあげるね。」
m「ええ、いいんですか?ありがとうございます!すごいたくさんかかしがいますね。」
女性「そうなの。元は縁側展っていう催しをやっていたのだけれど、終わっちゃってね。今は、みんなでかかしを作っているの。もう全部見た?」
m「まだです。」
女性「じゃあ、裏の広場(かかし広場)に行くともっとたくさんいるよ。ここもゆっくり見ていってね。見終わったら戸開けっ放しでいいから。」
その土地に来て、その土地の方とお話をすると、いつも穏やかな人柄を感じることができる。今目の前の人としっかり話しているような、無理のない自然な優しさ。
「かかしサロン」の中は、畳の上に家族が揃っていて、壁には多くの写真が飾られていた。家族は5人、皆こちらを向いて微笑んでいる憩いの空間。
壁には、里の人たちが丹精込めてかかしを作る姿が飾られていた。作っているのは年配の女性が多いが、その手から作られたかかしたちはとても優しげな笑顔をしている。少子高齢化や過疎化が問題となっているけれど、この写真からは子供たちの声も聞こえてきそうな楽しさが詰まっているような気がした。
かかしPを抜け、生活するかかしさんたちに出会う
「かかしサロン」の次は「かかしP」へ行ってみよう。地図上では、かかしサロンの2つ隣り。Pはおそらくパーキング(駐車場)だろう。少しずつ見えてきた。
ここが「かかしP」。建物と建物の間に奥行きある広場が広がっている。観光バスだって止まれちゃいそうな広さ。何やらかかし三人衆がいるぞ!
少しお年召した女性かかしが3人。かかしPの担当なのかな?ここの担当は交代制だろうか?何をおしゃべりしているのだろう。
物を作る時、その人の根底にあるものが作品に表れるという。それぞれのかかしたちを見ていると、自分の姿や、お子さんが小さかった時の記憶、こんな家族がいればという憧れ、など様々な感情が入り混じっているように見える。
ターニングポイントとなる場所には、一人のおじさんが自転車に跨っていた。そんな所にいたら看板が見えないよ。
「仕事中でーす。道路から見て下さいね。」
釣りをしたって楽しいし
ボールを使ったって楽しいはずさ。でも今は一人でも気にしない。
毎日の畑作業もこの人がいればやっていける。この人がいれば。
みんなと違う?赤い服を着ているだけ。好きな格好をして、好きな自分でいるだけ。
かかし広場に流れるそれぞれの時間
やっと「かかし広場」に辿り着いた。見るからに多くのかかしさんたちがそこにいる。
リアカーのおじさんは、何かをどこに運び、
登山に訪れたカップルは広がる景色を眺め恋に落ち、
子供達は仕事のジャマだってしてしまうさ
兄弟は佇み、過去を思い出しても次に進むんだという意思を感じ、
子供をあやすボランティアのお兄さんが、多くの苦労を越えてきた笑顔をして、
熊をも恐れないおじさんはゆっくり日向ぼっこをしていた。
帰り際、荒川の景色を眺めていると、あのかかしたちは本当に人だったのではないかと思えてきた。布で作られているとは言え、表情があって、確かにそこに存在していた。
たぶん作った人の残したかった一瞬が形取られているからなのだろう、見ていると大切な時間だったんだと感じることができる。
人が減ったとしても住民は常に考えている。この土地がいい場所だし、残したいものがあるのだと。
価値を知らないで、価値を残せていないのは私たちなのかもしれない。
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秩父"贄川宿 かかしの里" 前編 / 歩くガイドブックと里の歴史 / 命と想いのかかしたち
"命ある人"が作った"命宿るかかしたち"。
そこは「かかしの里」
秋も色めき出したころ。
秩父鉄道"三峰口駅"に降り立ち、とある里を目指すことにした。登山やハイキングのような人々もちらほら見える。駅前の古びたCoca-Colaが象徴的。
荒川周辺マップ。亀裂が入り、古びているが、何人もの人の役に立ってきたのだろう。
駅前には数件の食事処が並ぶ。空の雲の勢いに心踊りながら、向かうのはあの山の麓。
川を跨いだ反対側は国道が走っていて、歩道橋が見えてきた。左下に何か見えてきたぞ。
「贄川宿」「←かかしの里」と書いてあり、両側に人形が置かれていた。さぁ、ここは"かかし"が暮らす里。
お出迎えしてくれるかかしたち
まず入り口にいたのはキリッとした目の少年と素敵な笑顔の少女。二人は幼馴染なのかな。
看板の裏側には、「2017年1月 深田静江書」という文字。
里の入り口を抜け、少し歩くと女性が立っている。こちらはマダムだろうか。落ち着きがある。更にかかしの里の奥に誘われていこう。
「贄川宿観光トイレ」の側には登山の格好をした女性。
「ようこそ 御岳山へ 登 山 気をつけてね!」の優しいメッセージに癒される。
「町区分公会堂」の前には赤やピンクの目立つ女性がいる。
ちょっとかかしをじっくり見てみようと近づいてみることにした。かかしだからこそ、目・鼻・口や皮膚は布地で作られているが、実際に着ている服はおそらくどこかで準備した物なのだろう。いらなくなった洋服などの寄付だったりするのだろうか。手は軍手なのだが、なんでこんなにも苦労の感じる哀愁を感じるのだろう。
公会堂の前のお宅では洗濯をする女性。使っているものが洗濯板というのがとても時代を振り返るキーアイテムになっているように感じる。笑顔は本当に穏やかだ。
思うに、おそらくお宅一つ一つの前にかかしが置かれているのだろう。全部見ていこう。
兄弟のようなキッズ二人に
おじいさんとお孫さん
三輪車を教えるお母さんと息子さんもいた。
なんだろう。このかかしを作った方々の思い出や願いのような気持ちが、それぞれのかかし達に宿っているじゃないかと感じるようになってきた。
贄川宿と歩くガイドブック
入り口で看板の出ていた「贄川宿」に辿り着いた。入り口には不思議な木彫りの人形。ガラス越しにおばあさんと幼いお孫さんの二人がいらした。
贄川宿は案内所みたいだったので、中に入って見学させてもらうことにした。中には昔ながらのおもちゃがあったり、おそらくここかかしの里に関連していた物が置かれているのだろう。右奥にも立派な着物を着た女性が座っていた。「失礼いたします。」。ただ、かかしはいるが人の気配は未だに見えない。
贄川宿にて「歩くガイドブック」を手に入れた。
贄川宿かかしの里
◎この小さな集落にかかしが何体あるか探してください。
◎宿場の縁側はギャラリーになっています。庭先に看板の出ているお宅は見学できます。
◎かかしサロンは休処になっています。
何体あるか・・・?
この歩くガイドブックのおかげで、かかしの里には自分が想像していたよりも多くのかかしがいることが予想された。ゴクン。気になるのは「かかしサロン」「かかしP」そして「かかし広場」だ。ガイドブックにも書いてあるように、何体のかかしさんがいるのか確かめてみようじゃないか!
なぜかかしを作ろうと思ったのか
贄川宿のガラスには、かかしの里が東京新聞に取り上げられた記事が貼ってあった。なぜこのようにかかしをたくさん作るようになったのだろうか。
かかしの里の歴史 ※記事要約
贄川宿ができたのは江戸時代中後期ごろ。かつては武蔵と甲斐を結ぶ街道「秩父往還」の旅人達の休息地として発展した。さらに、霊峰・三峰神社参拝や秩父地方の寺を回る礼所巡りなどで宿場も増えていった。
しかし、1930年(昭和5年)に秩父鉄道が三峰口まで伸びたことで、宿場はたちどころに寂れ、過疎化の波もありこの地域の住民は39世帯、約80人にまで減った。
住民たちはかつてのにぎわいを取り戻そうと知恵を絞った。1990年ごろからは毎年、民家の軒先で写真や絵、手芸を展示する「秋の縁側展」を開き、15,000人もの観光客を集めるイベントに育て上げた。しかし、住民の高齢化で維持が難しくなり2014年が最後となった。
どうにか「秋の縁側展」の次のことができないかと考えていた2015年末ごろ、地元の健康インストラクター"深田澄子さん"が、農業誌で「徳島県三好市のかかしづくり」の記事を見つけ、さっそく主婦仲間に声をかけた。今では、60代を中心に約20人の女性がかかし作りに関わっている。2016年3月からは、丹精込めて作ったかかしたちを集落の各所にしつらえ、この地を訪れる人々を楽しませている。
「ちょ、ちょっとそこの方」と声をかけたくなるほど、命を感じるかかしたち。むしろこのかかしたちは、集落の住民たちの想いの込められた結晶なのだろう。
想いは形になる。
ではさらに、かかしさんたちに会いに行こうではないか。
後編につづく
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“秩父珍石館” / 圧倒・圧倒・圧倒的な人面石 / 無機質な物に芽生える人の感情
目・口・骨格、それらが集まれば人に見えて、命を感じる。
「秩父珍石館」にお邪魔する
埼玉県秩父市上影森、秩父駅からも30分ほどの静かな住宅の中に気になる看板が目に入る。「寿し/うなぎ/天ぷら 岸和田」・・・ではなくその下「珍石館?」。扉の上にも「秩父珍石館」という文字が見える。赤い服を着た女性がお花の手入れをしているが関係者だろうか?
女性に「こんにちは」と挨拶をすると、ハキハキした明るい声で「あーいらっしゃい!見学?」と尋ねられた。女性は、秩父珍石館の二代目館長”羽山芳子”さんだった。入場料400円を払い、ビターなチョコをくれた。ちょうどエネルギーが切れかけていたのでありがたい。
「秩父珍石館」は、芳子さんの父で初代館長の”羽山正二さん(故)”が始めたもので、珍しい石や鉱石などをこれでもかと集めた珍石の博物館だ。正二さんのお顔は写真右上の方。展示は1階と2階があり、合計で1700個もの石があるというんだから驚き。入り口にも多くの石が並べられており、人の顔に見える”人面石”が多く見られる。例えば真ん中の泣いているような石は、裏から水を流すと涙を流したように見える、面白い。水は蜂蜜容器から流していることはシュール。
芳子さんは珍石館の中のことをこれでもかと熱心に教えてくれる。お客さんもmonokannだけなので、マンツーマン講座でみっちりだ。父正二さんや石の話をしている芳子さんは実に生き生きと楽しそう。
なんでも、正二さんは最初珍しい石を集め始めたが、途中人の色々な表情に見える人面石を見つけ、人面石収集のトリコになってしまったようだ。左下のものは亀の甲羅にしか見えないが、これもしっかり石であるんだからすごい。
その石はどこで見つけるのかといえば、近くの荒川や山(武甲山)からのようだ。また、アメリカなどから取材もあるとのことで、世界中から人面石も送られてきているという。確かに、護国観音様を見にいく時、「随分山が削られてるな」って思っていたのだけれど、「石の削り出しをしていたのか!」と至極納得した。
1階の奥には、芳子さんのオススメだという「ライオンキング」みたいな石を紹介してくれた。確かにライオン感が出ている。でも周りのふさふさは取り外し可能だった。
2階は人面石の巣窟
続いて2階に通してもらって本当に驚いた!人面石の圧倒・圧倒・圧倒的な量。”大きいこと”と”量があること”は、人を説得させてしまう要素だと思っているのだけれど、まさにそれ。すでにちょっと好きやオタクなんてレベルをはるかに超えている。2階には多くの人面石以外にも、山などに見える鉱石、古いライカなどのカメラも展示してある。
人面石をゆっくり見ていくと、何やら石のそばに名前らしき物が書かれている。マツコデラックス、テレ玉くん、すっぱムーチョ、バド星人など、有名人からコアなキャラクターまで様々。芳子さんに話を聞くと、来館してくれた人に自由に名前を付けてもらっているのだという。人それぞれ人面石の見え方は違って、その人が思い浮かべる石の名前をつけていいのだという。命名なんてかなりその人のセンスや人生観が出るなって緊張しながらも、当然monokannも最後に名前を付けさせていただいた。
ミニラに、アルフに、Hanter×Hanterゴンさん!本当にセンスが高い!上の段は外国の方から届いた人面石。本当に世界中にファンがいるみたいだ。
ちょうど東京でムンク展がやっていたこともあり、ムンクの叫びもピックアップされていた、似ている。その隣に、トランプ大統領やエルビスプレスリーなんかを置くあたりも変な意図を感じる。
あの見知った顔はここにあった
多くの人面石が並べられている中で、一つだけ別格の扱いをされている石があった。どこかで見たことあるな、と思っていたら「中居正広のブラックバラエティ」で使われていた”人面石くん”ではないか!当時スタッフの方から連絡があり、この石を使わせてほしいという依頼があったそうだ。
目と口に見える部分は貝の化石になっており、本当に自然が生み出した偶然と神秘。
なんでもこの石のレプリカは最初全然売れず在庫が余っていたらしいのだが、ブラックバラエティのおかげで飛ぶように売れるようになり、すぐ売り切れになってしまったという。
人面石ライブラリー
すでに名前が付けられていても、別の名前も付けてOKとのことで、みなさんは膨大な石の中でどれが気になり、何に見えるだろうか?それでは、心ゆくまで人面石をご覧あれ。
(最後の方にmonokannが名前をつけた石がありました。本人に悪い気がするのでお名前は避けさせていただきます。恥ずかしい)
石というのは生き物なのかもしれない
本来、石は石灰など様々な原料によってできた自然の塊で、命はないはずのもの。しかし、人には目・鼻・口・耳・頭があるように、石に人間的な要素が含まれると、たちまち命があるものに感じてしまう。これは本当に不思議で、ただの錯覚でしかないのだけれど、石の表情が見えて、人間性ならぬ”石性”が見えてきてしまう。
感情というのはどこからきているのだろうかと考えると、自分たちと同じような表情が見えて、「自分の時はこんな気持ちだな」と共感できることなのではないだろうか。
最後、芳子さんと飾られている写真を見ながらおしゃべりをしていたが、石だけでなくその土地を愛する気持ちみたいなものも人面石には反映されているのかもしれない。
「愛されるには、顔が見えないものよりも、顔が見えるもの」
ってことだろうか。
※帰り際、旦那さんに車で駅まで送っていただき、本当にありがとうございました。秩父の歴史の話、とても興味深かったです。
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*引用・参考
〒369-1872 埼玉県秩父市上影森764−6
・羽山芳子さん
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秩父大渕寺の"護国観音" / 住職"町田兼義"の願いと佛彫師"志佐凰洲"との出会い / 観音様完成に見える共有する想い
動き出した人、完成にもっていった人、その両方があったからこその景色。
秩父三十四ヶ所霊場巡り 第二十七番目の地"大渕寺"
photo: 秩父三十四ヶ所霊場と巡礼路
埼玉県秩父地方には、「秩父三十四ヶ所霊場巡り」という三十四箇所の観音霊場を巡るコースがある。一箇所目の「誦経山 四萬部寺」から始まり、三十四箇所目の「日沢山 水潜寺」までの道のり。時間にしたらバスやバイクを使っても2-3日はかかるコースらしい。東海道五十三次とかそういう巡りをすると何か新境地が開けるかもしれないので、秩父も今後の候補にしよう。
さてさて、その二十七箇所目に「龍河山 大渕寺」というお寺があり、今回はその"護国観音様"に会いにいったのである。場所は、秩父鉄道の影森駅から徒歩10分ほどのところ(住所:秩父市上影森411)。大渕寺とは、
「市指定史跡 礼所二十七番 龍河山 大渕寺」
この礼所は、明治・大正と二度にわたる大火で堂宇をすべて消失しました。その後、本堂観音堂を兼ねた仮堂として再建されていたが、平成七年裏山を切開き、三間四面、宝形屋根の観音堂が再建されました。
本尊は聖観世音です。門前には市指定史跡影森用水路跡もみられます。
その昔行脚の僧宝明、諸国をめぐり、この地に霊境の多いにうたれ、春秋七年を過ごし思わむ足の病となり行住坐臥して念誦するのみとなりました。弘法大師この地に至りてこれを愍たみ一体の観音を刻みて与えました。
宝明は悦び吾一人拝するはもったいなしと里人に伝え一字の堂を建て本尊をまつり、宝明を第一祖にしたという縁起があります。
昭和40年1月25日 秩父市教育委員会指定
少し先を見上げると森に切り取られた間から、太陽の光を浴びて護国観音様がこちらを見ている。目指すのはあそこである。
中央道は工事中のため、外側から回ってまずは観音堂(月影堂)にご挨拶。立派な作りをしている。
そう簡単には辿り着けない護国観音様
護国観音を拝むには月影堂隣りの脇道を散策してたどり着くことができる。辺りは、ちょうど紅葉時期を楽しもう、、、
と思ったのだが、
意外に、
結構キツめなトレッキング道だ。
途中中国人の団体さんとすれ違って「こんにちは!」と挨拶を交わしたり余裕綽々だったのがだ、そんな訳にも行かず顔が真顔になった。まだ護国観音様はいない。
はて、15分ぐらい登っただろうか。目印のような看板「護国大観音修復記念碑」に出会った。もう少しのようだ。
護国観音様にご対面
そして、ついに対面となった護国観音様。
1935年頃に作られたコンクリート観音様。高さは15-16m(古い資料だと50尺=約15.15m)と小柄に見えるがそこそこの大きさがある。観音様は割と睡蓮を片手に持っていることが多いようだが、この護国観音様は、剣を持っていることが特徴的。そういう意味でも"護国"という名前が合っている。
以前は経年の色剥れがあったが、今は白く塗り替えられ清楚な印象がある。顔もはっきりとした表情をしており、ふっくらとした温かさがある印象。
衣装も白が似合い、布の動きが綺麗に見える。軽さが見えるのも造形技術の賜物だろう。
足元の中に開きそうなほこらのような物がある。その表面にも護国観音様の絵が彫られている。
そんな護国観音様はどんな景色を見ているのか目線の先を辿っていくと爽快に開けた空と山、そして秩父の町が広がっていた。本当に人々を見守ってくれているようだ。
護国観音の製作者と経緯に迫る
そんな護国観音様はいったいどんな経緯で作られたのだろう。「護国観音建立記念」の碑があったので除いてみると、肩書きのない名前は黒澤などを含めて34名、それに加えて以下3名の名前が記されていた。ここから深ぼっていこう。
佛師:志佐日精
助師:福﨑秀雲
住職第十七世:町田兼義
"福崎日精"ですが、秩父大淵寺護国観音の銘板に「仏師 志佐日精 助師 福崎秀雲」とあり、『観音の霊験』(昭15)には、"志佐鳳洲"に依頼し弟子の"志佐日洲"と"福島秀雲"が云々、とあります。"福崎日精"は秀雲の改名か"コンビ"の名前という可能性もあるかも。https://t.co/lMn5rlyqEu#謎の大観音 https://t.co/MQQm6NTnHw
— signal9.jp (@Signal9J) 2017年12月5日
その答えはsignal9.jpさんのツイートのおかげでたどり着けた。心から感謝。
photo: 観音の霊験 - 中根環堂(有光社/昭和15年)
書籍「観音の霊験」の172ページにその答えが記されている。
「町田兼義師と護國大觀音」
昭和9年5月30日、東郷元帥(東郷平八郎)が亡くなったことで、日本の世は長閑かさから打って変わって沈んだ雰囲気へとなっていった。秩父影森で深く慕われていた大渕寺の住職"町田兼義師"も彼の死を悲しんだが、「惜しんでも悔やんでもしょうがない。何とかして偉大な東郷元帥の追慕記念事業をやりたい」と立ち上がった。彼はすぐさま物置小屋からセメントを出し、コンクリートを練り、東郷元帥の写真を元に等身大の東郷元帥記念像を作り始めた。
しかし、住職は陶芸家でもないただの素人。どうにか魂を込めて顔まで完成させたが、「本当にこんな下手な物で大丈夫か?」と不安になった。その時、ちょうど通りかかった雲水(金井凰洲・修行僧)が「立派にできましたね。」と住職が作った顔を褒めてくれた。何でもその雲水も過去彫刻などにハマり、恩師は"志佐凰洲"という佛彫師(ぶつてうし・彫刻家)だという。すぐさま住職は昔からの願い「三十三尺の観音様を作りたい」という気持ちがあり、その志佐凰洲にお願いできないかと雲水にお願いし、手紙を書くことにした。返事を待つこと半年、諦めていた時ついに志佐凰洲からの返事が来た。一度訪ねてくれるという内容であった。
昭和九年八月、志佐凰洲は弟子二人とともに住職の前に現れ、すぐさま「三ヶ月の間に起工する」と言い放った。突然のことで住職は困惑したが、このまたとない機会を逃さないよう心に決め、着工の了承を出した。準備に帰った志佐凰洲は、数日後戻ってきて、弟子"志佐日洲"と"福島秀雲"と共に工事に取り掛かった。
しかし、材料がない。住職は秩父鉄道の本社へ行き、松崎総務課長を通じて古レール八本を手に入れた。また、村長黒澤保秀氏を訪ね、村の有志二十七人の賛成までも得た。その後も地固めに必要な大量の砂(石油箱千五百個分=54トン)を運び上げないといけない際も、近所のお婆さん達や年の若いお主婦さん、学校帰りの子供達などの協力も得て、すぐ様運び終えてしまった。そういった多くの人々の協力を得て、無事護国観音は完成をした。
昭和十一年四月十八日、今上陛下の祈願文が大観音の胎内へ納められた記念すべき日となった。また、同年十一月十七日は正式な開眼式が行われた。
なるほど。"志佐凰洲"が弟子"志佐日洲"と"福島秀雲"と共に護国観音の建設に加わっていたことがわかり、おそらく記念碑に書かれている名前"志佐日精"と"福﨑秀雲"は、改名などして入れられた名前であったのだろう。けれど、凄まじい人々の力を結集して、護国観音が完成したことがよくわかる。感動。
また、世の中の観音様の製作者の中には、「福崎日精」という名前がよくあるようで、この弟子達のことではないかと予想できるようだ。観音様を作るにも定番の製作者がいたということにも純粋に驚いた。
一人の住職様が動き出したから出会いが生まれ、"志佐凰洲・志佐日洲・福島秀雲"という存在がいたから完成度が上がり、多くの秩父住民の多大な協力があったから護国観音様が出来上がった。
きっと誰がすごいいうよりは、共感を呼ぶことや思いを共有していくことが必要なのだろう。そうでないと、重い土砂を運んでくれるぐらい住民の心を動かすことはできない。
その地を守っていくこと、暮らしていくこと
そんな共通の想いが大きくなったからこそ、護国観音様は秩父の広い空と町を見守ることができているのだろう。
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*引用・参考
・観音の霊験 - 実用、同人誌・個人出版 中根環堂(発掘刊行館)
・謎の巨大観音像、ついにその謎が解明!! - ツイナビ | ツイッター(Twitter)ガイド
・『大渕寺にて』秩父(埼玉県)の旅行記・ブログ by tsunetaさん【フォートラベル】
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ウィリアム・マクエルチュラン『出会い』 / 彼の半生を振り返る / 作品から見える温かさ
出会うために出会っているのかもしれない。偶然も必然に。
静岡によく行くことがある。お茶が有名で、伊豆や箱根などの温泉街も多く、海が近いから魚だって美味しい。そんな静岡の静岡駅の近くに一つの忘れられない作品がある。
作者は"William McElcheran"(ウィリアム・マクエルチュラン)、作品名は"Encounter"(出会い)。二人の少しガタイのいいビジネスマンがばったり出会ったような描写が描かれている。外国のサイトでは、"Encounter two business men bumping into each other"と表記もされていた。
ウィリアム・マクエルチュランは、建築家で画家で彫刻家という数々の顔を持っている。1927年にカナダのオンタリオ州西部にあるハミルトンという地で、バプテスト教会の家族の下で生まれた。大学は、カナダの中でも最も古いアートデザイン学校、OCAD University(the Ontario College of Art and Design)をクラストップで卒業している。彼は、Giacomo Manzù(イタリア彫刻家)やJacques Lipchitz(リトアニア彫刻家)に魅了され、ドナテロやミケランジェロなどにも興味を注いだという。
20-30代は、Bruce Brown and Brisley Architectsという建築事務所でチーフデザイナーをしており、数々の協会や大学などのデザインを手がけた。その後40代前後は、OCAD Universityで彫刻を教えたり、トロントの建築大学で"アーティスト・イン・デザイン"(各種の芸術制作を行う人物を一定期間ある土地に招聘し、その土地に滞在しながら作品制作を行わせる事業)で作品作りを続ける。また、46歳の時には、自ら"Daedalus Designs"を立ち上げ、カナダ・US・ヨーロッパ内での公共彫刻のプロデュースもしていた。
1975年、彼はイタリアのピエトラサンタに移り住み、鋳造技術にさらに磨きをかける。そして、その効果もあり、見た目の大きなビジネスマンの作品で再び賞賛されることになる。彼のビジネスマンは、コートやネクタイ、帽子やブリーフケースを身にまとい、社会への期待などを押さえ込みながら、忙しい日々を急ぐ姿が描かれている。マクエルチュランの作品は強いメッセージ性がありながら、なぜか共感性が高い。権力や力を求め、権力や力に従う姿にどこか昔ながらの哀愁みたいなものを感じるからだろうか。
"Encounter"(出会い)も、その哀愁に包まれている。彼らは似ているようだが違うようだ。兄弟か友達か、はたまたこれから知り合う二人なのか。それとも自分自身との新しい出会いなのか。見ているだけで想像力を掻き立て、なぜか二人の性格なども考えたくなってしまう。共感性が高いのは、作品の中に人としての温かさを感じるからなのだろう。カナダのトロントにあるYork Universityにも同じ作品があり、そちらが先にできて静岡にも作られた。また、日本で見られるマクエルチュランの他作品は、"PLEASE DO NOT RUN"という壁面に人が流れていくような描写がされた作品や、"TIMEWISE"という男性が腕時計を見る作品を見ることができる。
マクエルチュランはインタビューで言っている。
"I always thought of art as being an expression of something more than the individual, but of civilization as a whole."
私はいつも個人のこと以上に文明全体に関する表現になるような作品を考えている。
また、様々なメディアやジャーナリストも以下のように話す。
Canadian Business magazine
"McElcheran's fat little businessman is now something of a cult item among the well-to-do in Canadian business, worth his weight in much more than bronze."
マクエルチュランの太って小柄なビジネスマンは今、カナダビジネスの富裕層の間でちょっとしたカルト的アイテムになっており、ブロンズの重さ以上に彼の体重には価値があります。
Sol Littman (freelance journalist)
“McElcheran’s work is bitingly satiric yet warmly human.”
マクエルチュランの作品はかなり風刺的ではありながら、温かな人間性を感じるんだ。
マクエルチュランさんは吹上駅にある壁面作品の中で言っている。
"PLEASE DO NOT RUN" SO FAST THAT YOU MISS THE MOST BEAUTIFUL THINGS IN LIFE.
そんなに早く走らないで。人生でもっとも美しい物を見失ってしまうから。
日々の一つ一つが大切であり、その全てが愛おしいものなんだろう。でも少し社会への欲みたいな物を欲しがると、もがき苦しむことになってしまう。自分とは何だろう、自分には何ができるのだろうと日々考えていくことは必要でありながら、実はすでに出会っている人が、最高の出会いになっているのかもしれない。
出会いの先には、そこから一つ一つを見返していくことが必要だったりするのかな。
*-------------------------------------
*引用・参考
・William McElcheran (Estate) - Kinsman Robinson Galleries, 108 Cumberland St, Yorkville
・William McElcheran - Wikipedia
・William McElcheran Humanism in Bronze
・Bill McElcheran - Market leader in selling artworks by Bill McElcheran
・The Encounter - McElcheran - Toronto Sculpture
・名古屋講演会の”Please Do Not Run”と「慌てず急げ」 | 商人舎 結城義晴ブログ
・AIR_J: Online Database of Artist-in-Residence Programs in Japan
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【LIVE INFO】
Shibuya Lush & HOME presents "グローリア宮益坂"
2019/1/20(日) ※時間は別途連絡
LIVE: ぼんじり / Lamb / R.R.P / 高橋飛夢とばばばびお / LAIDBACK CX / oookay!!! / nego / no entry / 夕暮れの動物園 / and more…
open / start TBA(後日連絡)
advance / door 2000yen / 2500yen (+1drink)
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"ナナちゃん人形"がある意味 / 名鉄百貨店のシンボルと歴史 / 風貌から見えるシュレッピーとは?
2019年スタート、名古屋駅の「ナナちゃん人形」のは「弁天財ナナちゃん」に衣装替えしていた。
少し自分の身長が大きいだけ、少し周りの身長が小さいだけ、そしてただそこに立っているだけ。何も変なところもやましいところもない。役割を持ってそこに存在している。ナナちゃんは今日もそこにたち続けて、自分の存在価値を証明している。
愛知県出身の方であればご存知の方もいるだろう。JR名古屋駅の東口にある名鉄百貨店ヤング館(現在閉館)〜本店メンズ館の通りに異質な存在がただ真っ直ぐに立っている。それが「ナナちゃん人形」だ。
ナナちゃんが設置されたのは1973年4月28日、2019年で46歳となる。元々、名鉄百貨店ヤング館は名鉄百貨店セブン館という名前でオープンした。その1周年記念を祝ってシンボル的な物がほしく、当時の名鉄宣伝課長が東京でのマネキン見本市で巨大なマネキンと出会い、使いたいということになったようだ。そしてナナちゃんの名前は一般公募によって、"セブン館=ナナ"ともじり決まった。
ナナちゃんにはしっかりプロフィールもあり、気になる身長は6m10cm。最近進撃の巨人の最新刊が出ていたけれど、その通常種(4-15mほど)はたぶんこのぐらいなんでしょう、、、勝てる気がしない。耐久力も半端ではなく、強化プラスチックとFRP硬質塩ビ樹脂、ガラス繊維でできており、最大瞬間風速60mまで耐えて、加えてハンマーで殴っても壊れない作りだという、、、余計に勝てる気がしない。
[ナナちゃんプロフィール]
生年月日:S48.4.28
身長:6m10cm
体重:600kg
バスト:2m07cm
ウエスト:1m80cm
ヒップ:2m15cm
素材:繊維強化プラスチック、FRP硬質塩ビ樹脂
デザイン:スイス(シュレッピー社)※現在、イタリアのマネキンメーカー「ボナベリ」に吸収
制作:長野県伊那市高遠町の木材会社「高遠製函」(現在の社名はウッドレックス)
制作日数:1ヶ月半
ナナちゃんが作られたのは、「セブン館を流行の発信地にしたい」という願いがあったから。当時の宣伝キャッチコピーは「一週間来ないとおくれちゃうよ!」という流行に敏感な層に向けたかなり攻めたものだった。ナナちゃんは現在でも広告塔として様々な企業とコラボっていて、ブランド・映画・イベントなどのスポンサーに関連した衣装を来て、名古屋駅を盛り上げている。過去、スターウォーズや中日ドラゴンズ、サンタやナース、ウエディングドレスまで来たことがあるんだからすごいものだ。
広告費用は1週間100万円(税別・制作費別・取付撤去別)みたいだから、結構妥当な値段かもしれない。ナナちゃんが置かれている"ナナちゃんストリート"全てをジャックしたいなら190万円(100万円+別途90万円)。ぜひナナちゃんに協力してもらって社会に訴えたいことがある人はチャレンジしてほしい。
デザインはスイスのシュレッピー社(Schläppi)、現在はイタリアのボナベリ(Bonaveri)というマネキン会社に吸収されてしまった。ただ、そのボナベリ社にもまだ"Schläppi Collections"という物が残っており、ボナベリ社のホームページに行くとナナちゃんと同じ形をしたマネキンの写真もある。そのシュレッピーの立ち振る舞いは現代の目で見ても独特で、ボナベリ社でも「The poses are elegant, statuesque and athletic.(シュレッピーのポーズは、エレガントかつ優美で、活発さもある。)」と書かれている。ナナちゃんの立ち振る舞いや手の形など見ていて、見ている人を飽きさせず、何かを訴えるデザイン性を感じることができる。
そんなナナちゃんも名古屋駅周辺の再開発計画で現在まだ移動先が決まっておらず、「なくなるかもしれない!」という衝撃の自体になっている。こういった地域の文化を作ってきてくれた物は、ぜひ残していってほしいなと心から思う。
ナナちゃんはその目線から一体どんな世界を見ているのだろう。その存在自体の力を活用して、日々様々な服を来て、様々なメッセージ性を持って、通りすがる人に訴え続けている。そして、通った人は、一度見たら決して忘れることができず、一生の記憶に仕舞われる。これをカリスマ性というのかスター性というかはわからないけれど、何も言わず期待に答え続けてくれるからこそできる芸当なのだろう。
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*引用・参考
・県産材製品製造・取扱店の紹介/南信・株式会社 ウッドレックス
・http://www.mf.ccnw.ne.jp/urban/nanatyanningyou.html
・ナナちゃん/ナナちゃんストリート | その他広告 | 名古屋鉄道交通広告
・Bonaveri Mannequins and Bust Forms | Made In Italy
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府中米軍基地跡 / 巨大な"パラボラアンテナ"と、高さ107mの"マイクロウェーブ塔"が臨む風景
パラボラアンテナ2つとマイクロウェーブ塔、こちらを臨む。
東京都内には現在7つの米軍基地が存在する。よくニュースで耳にする"横田基地(横田飛行場)"や、会議や宿泊施設に使われる”ニューサンノー米軍センター"、ヘリポートや宿舎として使われる""赤坂プレス・センター"に、ゴルフやキャンプなどができる"多摩サービス補助施設"など様々な用途の場所がある。そして残る7分の3が通信施設であり、今でも基地間の交信が行われている。
東京都・府中市浅間町にある「府中通信施設(府中米軍基地跡)」もその一つ。最寄は京王線東府中駅から徒歩10分ぐらい歩いたところ。ここは、横田基地や大和田通信所との中継通信基地として活用されている。設立は1940年。最盛期には軍人・日本従業員合わせて4000人もの人がいたと言われている。当時は敷地全体がアメリカ軍基地になっていたが、騒音や電波障害など近隣からの苦情が相次いだこともあり、1973年の第14回日米安全保障協議委員会にて部分的に返還が決まった。今では、3分の1ほどが公園や美術館のエリアになり、もう3分の1ほどは航空自衛隊 府中基地として利用されている。そして最後の3分の1が未返還部分も含めた返還跡地になっている。
敷地内はもちろん国有地。廃墟に侵入することは犯罪だが、ここは本当に侵入とかしないほうがいいだろう。命さえ危ない国の力を感じる。日本語・英語・中国語・韓国語で「立入禁止」と書かれていることも様々な訪問者(侵入者)がいるのだろう。何より命を大事にしよう!
南側(駅側)にある駐車場からは廃れた建物の中を見ることができる。見事に窓ガラスは割れ、錆れ具合が時間の流れと放置度合いを物語る。亡霊の一人や二人いるんだろうなぁ。成仏してください。
敷地をなぞるようにして跡地の周辺を歩いていく。その中で目立つのは、通信用に使用された2つの巨大な"パラボラアンテナ"と、高さ107mの"マイクロウェーブ塔"だ。パラボラアンテナの直径は14mほどあり、北北東を向いているようで、アメリカの方向をさしているのだろうか。
当時、パラボラアンテナを介する電波は、青森県・三沢基地や福岡県・板付飛行場など日本全国と交信していた。しかし、徐々に基地の返還が進み、今ではマイクロウェーブ塔部分だけが管理下となっている。この場所が敷地外からもっともパラボラアンテナを見ることができる場所だろう。
パラボラアンテナが若干の紫色をして透けているように見えることも味わい深い。右側の各民家からはどのような景色が見えるのだろう。今でもテレビを見ていたりするとノイズが混じったりするのかな。結構建物の近くは不気味で怖いけど。
そして、おそらく米軍人達などの宿舎などに使われていた建物は埋め尽くすように蔓で覆われている。まるで植物が取り憑かれたように意思を持って行動しているようだ。建物の中にまで入り込んでいる姿からは、この場所がどれほど放置をされてきたのかがさらに伺える。
忘れられてしまうことは何より怖いことだ。自分がそこに存在をしていても存在していないことと同じ意味になる。「誰かの記憶から消えた時が本当の死だ」って誰かが言っていた気がするけれど、その忘れられたヒトやモノが価値を失っているのであれば、価値の再定義みたいなことができる存在もまた必要なんだろうな。そんな存在になれたらと思っているよ。
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*引用・参考
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