monokann

物事を考え、新しい「1」を創り出す

MENU

秩父大渕寺の"護国観音" / 住職"町田兼義"の願いと佛彫師"志佐凰洲"との出会い / 観音様完成に見える共有する想い

f:id:monokann:20190119191232j:plain

動き出した人、完成にもっていった人、その両方があったからこその景色。

  

 

秩父三十四ヶ所霊場巡り 第二十七番目の地"大渕寺"

f:id:monokann:20190126223207g:plain

photo: 秩父三十四ヶ所霊場と巡礼路

埼玉県秩父地方には、「秩父三十四ヶ所霊場巡り」という三十四箇所の観音霊場を巡るコースがある。一箇所目の「誦経山 四萬部寺」から始まり、三十四箇所目の「日沢山 水潜寺」までの道のり。時間にしたらバスやバイクを使っても2-3日はかかるコースらしい。東海道五十三次とかそういう巡りをすると何か新境地が開けるかもしれないので、秩父も今後の候補にしよう。

 

f:id:monokann:20190119190748j:plain

f:id:monokann:20190119191633j:plain

さてさて、その二十七箇所目に「龍河山 大渕寺」というお寺があり、今回はその"護国観音様"に会いにいったのである。場所は、秩父鉄道の影森駅から徒歩10分ほどのところ(住所:秩父市上影森411)。大渕寺とは、

「市指定史跡 礼所二十七番 龍河山 大渕寺」

 この礼所は、明治・大正と二度にわたる大火で堂宇をすべて消失しました。その後、本堂観音堂を兼ねた仮堂として再建されていたが、平成七年裏山を切開き、三間四面、宝形屋根の観音堂が再建されました。

 本尊は聖観世音です。門前には市指定史跡影森用水路跡もみられます。

 その昔行脚の僧宝明、諸国をめぐり、この地に霊境の多いにうたれ、春秋七年を過ごし思わむ足の病となり行住坐臥して念誦するのみとなりました。弘法大師この地に至りてこれを愍たみ一体の観音を刻みて与えました。

 宝明は悦び吾一人拝するはもったいなしと里人に伝え一字の堂を建て本尊をまつり、宝明を第一祖にしたという縁起があります。

昭和40年1月25日 秩父市教育委員会指定

 

f:id:monokann:20190119190921j:plain

少し先を見上げると森に切り取られた間から、太陽の光を浴びて護国観音様がこちらを見ている。目指すのはあそこである。

 

f:id:monokann:20190119190902j:plain

中央道は工事中のため、外側から回ってまずは観音堂(月影堂)にご挨拶。立派な作りをしている。

 

 

そう簡単には辿り着けない護国観音様

f:id:monokann:20190119191611j:plain

護国観音を拝むには月影堂隣りの脇道を散策してたどり着くことができる。辺りは、ちょうど紅葉時期を楽しもう、、、

 

f:id:monokann:20190119190949j:plain

と思ったのだが、

 

f:id:monokann:20190119191013j:plain

意外に、

 

f:id:monokann:20190119191100j:plain

結構キツめなトレッキング道だ。

 

f:id:monokann:20190119191034j:plain

途中中国人の団体さんとすれ違って「こんにちは!」と挨拶を交わしたり余裕綽々だったのがだ、そんな訳にも行かず顔が真顔になった。まだ護国観音様はいない。

 

f:id:monokann:20190119191125j:plain

f:id:monokann:20190119191526j:plain

はて、15分ぐらい登っただろうか。目印のような看板「護国大観音修復記念碑」に出会った。もう少しのようだ。

 

 

護国観音様にご対面

f:id:monokann:20190119191209j:plain

そして、ついに対面となった護国観音様。

 

f:id:monokann:20190119191147j:plain

1935年頃に作られたコンクリート観音様。高さは15-16m(古い資料だと50尺=約15.15m)と小柄に見えるがそこそこの大きさがある。観音様は割と睡蓮を片手に持っていることが多いようだが、この護国観音様は、剣を持っていることが特徴的。そういう意味でも"護国"という名前が合っている。

 

f:id:monokann:20190119191232j:plain

以前は経年の色剥れがあったが、今は白く塗り替えられ清楚な印象がある。顔もはっきりとした表情をしており、ふっくらとした温かさがある印象。

 

f:id:monokann:20190119191254j:plain

衣装も白が似合い、布の動きが綺麗に見える。軽さが見えるのも造形技術の賜物だろう。

 

f:id:monokann:20190119191314j:plain

足元の中に開きそうなほこらのような物がある。その表面にも護国観音様の絵が彫られている。

 

f:id:monokann:20190119191334j:plain

そんな護国観音様はどんな景色を見ているのか目線の先を辿っていくと爽快に開けた空と山、そして秩父の町が広がっていた。本当に人々を見守ってくれているようだ。

 

 

護国観音の製作者と経緯に迫る 

f:id:monokann:20190119191507j:plain

そんな護国観音様はいったいどんな経緯で作られたのだろう。「護国観音建立記念」の碑があったので除いてみると、肩書きのない名前は黒澤などを含めて34名、それに加えて以下3名の名前が記されていた。ここから深ぼっていこう。

佛師:志佐日精

助師:福﨑秀雲

住職第十七世:町田兼義

 

 その答えはsignal9.jpさんのツイートのおかげでたどり着けた。心から感謝。

 

f:id:monokann:20190126232402j:plain

photo: 観音の霊験 - 中根環堂(有光社/昭和15年)

書籍「観音の霊験」の172ページにその答えが記されている。

「町田兼義師と護國大觀音」

昭和9年5月30日、東郷元帥(東郷平八郎)が亡くなったことで、日本の世は長閑かさから打って変わって沈んだ雰囲気へとなっていった。秩父影森で深く慕われていた大渕寺の住職"町田兼義師"も彼の死を悲しんだが、「惜しんでも悔やんでもしょうがない。何とかして偉大な東郷元帥の追慕記念事業をやりたい」と立ち上がった。彼はすぐさま物置小屋からセメントを出し、コンクリートを練り、東郷元帥の写真を元に等身大の東郷元帥記念像を作り始めた。

しかし、住職は陶芸家でもないただの素人。どうにか魂を込めて顔まで完成させたが、「本当にこんな下手な物で大丈夫か?」と不安になった。その時、ちょうど通りかかった雲水(金井凰洲・修行僧)が「立派にできましたね。」と住職が作った顔を褒めてくれた。何でもその雲水も過去彫刻などにハマり、恩師は"志佐凰洲"という佛彫師(ぶつてうし・彫刻家)だという。すぐさま住職は昔からの願い「三十三尺の観音様を作りたい」という気持ちがあり、その志佐凰洲にお願いできないかと雲水にお願いし、手紙を書くことにした。返事を待つこと半年、諦めていた時ついに志佐凰洲からの返事が来た。一度訪ねてくれるという内容であった。

昭和九年八月、志佐凰洲は弟子二人とともに住職の前に現れ、すぐさま「三ヶ月の間に起工する」と言い放った。突然のことで住職は困惑したが、このまたとない機会を逃さないよう心に決め、着工の了承を出した。準備に帰った志佐凰洲は、数日後戻ってきて、弟子"志佐日洲"と"福島秀雲"と共に工事に取り掛かった。

しかし、材料がない。住職は秩父鉄道の本社へ行き、松崎総務課長を通じて古レール八本を手に入れた。また、村長黒澤保秀氏を訪ね、村の有志二十七人の賛成までも得た。その後も地固めに必要な大量の砂(石油箱千五百個分=54トン)を運び上げないといけない際も、近所のお婆さん達や年の若いお主婦さん、学校帰りの子供達などの協力も得て、すぐ様運び終えてしまった。そういった多くの人々の協力を得て、無事護国観音は完成をした。

昭和十一年四月十八日、今上陛下の祈願文が大観音の胎内へ納められた記念すべき日となった。また、同年十一月十七日は正式な開眼式が行われた。

なるほど。"志佐凰洲"が弟子"志佐日洲"と"福島秀雲"と共に護国観音の建設に加わっていたことがわかり、おそらく記念碑に書かれている名前"志佐日精"と"福﨑秀雲"は、改名などして入れられた名前であったのだろう。けれど、凄まじい人々の力を結集して、護国観音が完成したことがよくわかる。感動。

 

また、世の中の観音様の製作者の中には、「福崎日精」という名前がよくあるようで、この弟子達のことではないかと予想できるようだ。観音様を作るにも定番の製作者がいたということにも純粋に驚いた。

 

 

f:id:monokann:20190119191350j:plain

 

一人の住職様が動き出したから出会いが生まれ、"志佐凰洲・志佐日洲・福島秀雲"という存在がいたから完成度が上がり、多くの秩父住民の多大な協力があったから護国観音様が出来上がった。

 

きっと誰がすごいいうよりは、共感を呼ぶことや思いを共有していくことが必要なのだろう。そうでないと、重い土砂を運んでくれるぐらい住民の心を動かすことはできない。

 

その地を守っていくこと、暮らしていくこと

 

そんな共通の想いが大きくなったからこそ、護国観音様は秩父の広い空と町を見守ることができているのだろう。

 

 

  

*-------------------------------------

*引用・参考

観音の霊験 - 国立国会図書館デジタルコレクション

観音の霊験 - 実用、同人誌・個人出版 中根環堂(発掘刊行館)

謎の巨大観音像、ついにその謎が解明!! - ツイナビ | ツイッター(Twitter)ガイド

『大渕寺にて』秩父(埼玉県)の旅行記・ブログ by tsunetaさん【フォートラベル】

秩父三十四箇所 - Wikipedia

秩父札所34ヶ所 – 秩父観光協会

大淵寺護国観音

27番 大淵寺 :: 秩父三十四所観音霊場

トップ :: 秩父三十四所観音霊場

-------------------------------------*

*promotion

monokannでは、広告を掲載させて頂いています。ブログを運営していくためにご理解いただけますと幸いでございます。個人の活動についても掲載させて頂いておりますので、ご興味あるものがございましたら、お気軽にご連絡ください。

 

 

---

【Lamb音源】 

Lambのプレイリストを公開しています。1曲1曲から何かを感じてもらえたらうれしいです。ライブ情報も公開していますので、随時お知らせいたします。

〜〜〜〜〜〜

Other Information of Lamb ↓

Instagram

 -------------------------------------*

 *follow me on

いつもご愛読頂き、ありがとうございます。"考える"ってことは"何かを知っていくこと"だと感じています。それは同時に"得たことを吐き出していくこと"でもあります。「呼吸をするように考えていってほしい。」そんな思いが伝わっていることを願っています。よければ以下でフォローして頂けたらうれしいです。今後ともよろしくお願いいたします。

Instagram