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物事を考え、新しい「1」を創り出す

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自分らしさ・個性について / 他人の声 / 続けた先に

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何か感覚を掴むというのは、雲を掴むみたいに途方もないことのように思う。その人らしさや個性を得るには、あまりに見えない道が続きすぎる。

 

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最近心がけていることがある。それは、「自分の感情に正直でいよう」ということだ。なんだか宗教観があるように聞こえるかもしれないが、別に新しい宗派を開いた訳ではない。人生をやめたくなった訳でもない。それは「自分とは何かを改めて探している時期だから?」と言ったら正解だろうか?

 

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思春期や20歳前後の時は、とにかく無心で「自分は何者かであるはずだ!」という根拠のない自信を持って生活していたように思う。それが何度か打ち砕かれ、できる限りの情報や実験をしてきて、もうすぐ30歳になる(らしい)。そこで思ったのは、自分らしさや個性は自分で決める物ではないということだった。

評価すること。それは自分で行うことではなくて誰かにしてもらって初めて評価になることだと知ってきた。けれど、自分らしさや個性を得ていくには、やっぱり自分で自分の方法を模索していかなければならない。だから、自分の感情から生まれた何かに正直にいて、その道をずっと歩んでみることを続けてみようかと思ってきた。

 

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最近カメラを買った。世に言う一眼レフというやつだ。メーカーはPENTAX。レンズが大きく重いのでなかなか持ち運ぶのが面倒なのだが、一応毎日持つことにしている。そして、お休みの時、仕事へ向かう時、どこかお店に入った時、周りを観察してみて、「あっ!なんか気になる!」と思った瞬間にシャッターを押してみることにした。もちろんiphoneも使っていく。

今は特に、その構図の何がよかったのか、理由を言葉で表わせないのだけれど、きっと塵も積もれば山となっていくように、わからない理由がわかる時がくるのではないかと期待している。それが個性という形になっていってくれるはずだ。

 

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ドラえもんの作者、藤子・F・不二雄先生は、著書で言っていた。

ぼくがやってきた勉強法というのは、言ってみればなんということのない、ひじょうにふつうのことなのです。

ただひたすら、おもしろい小説を読み、おもしろい映画を見、おもしろい話を友達から聞くのです。旺盛(さかんなこと)な好奇心にものをいわせて、外部からいろいろと取り入れるしかありません。

そうこうしているうちに、自分の中に、おもしろさの素のようなものがたまってきます。それをどう効果的に読者に伝えるかというテクニックは、また平凡ないい方になりますが、これはもう、ひたすらかくしかないのです。かいてかいて、とにかくかいておぼえる。そのうちに、いろいろなことがわかってくるはずです。

(藤子・F・不二雄「藤子・F・不二雄のまんが技法」より。小学館文庫)

 

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きっと坂道も多いだろう。

 

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一時停車もしてみたくなるだろう。

 

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それでも誰かに何かを感じてもらえるように、自分では気づかない花が咲くことを願って、これからも書いてゆこう。写真で今の感情に正直でありながら、おもしろい物事を取り入れながら。

  

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