海外と日本の架け橋"出島" / ポルトガルと日本の友好モニュメント / 砂糖を伝えた人々
日が昇り、身支度をし出発。昨日綺麗な夜景が広がっていた場所には、代わりに大きな海が広がっていた。昼と夜で2つの顔がある。人も海も街も同じなのかな?なんて考えていた。
少し早起きをして、まずは歴史の教科書の定番「出島」を訪れることにした。
photo: 出島 Dejima 〜つながる出島〜
ポルトガル人が種子島に漂着したのは1543年。それから100年後の鎖国が終わるまで、日本とポルトガル人の関係は深いものだったと言う。"パン"や"タバコ"などの言葉は今でも使われているし、「砂糖」が伝えられたことでお菓子文化が日本に広がっていった。
少し中を探検してみると、「畳の上に盆栽」。
そんな親交深いポルトガルとの友好関係を表したモニュメントが、この「フレンドシップメモリー」だ。
ザビエルやアルメイダなど日本との交流に尽力した6名の顔が彫られ、顔の裏には一人一人の名前と功績が書かれている。泳ぐように6人を繋ぐ2人は"人と人の繋がり"を表しているのかな?
足元には
それぞれの名前。そして、裏には、、、
一人一人の説明。
ヴェンセスラウ・デ・モラエス:作家。日本人の魂を最も深く知った西洋人。近代の日本をポルトガル及びブラジルに紹介。
ルイス・デ・アルメイダ:西洋外科術の紹介者。南蛮塾日本最初の病院、らい病院、産児収容所を創設する。
ジョアン・ロドリゲス:今日、尚、日本語の科学的研究の出発点とされている最初の日本語文法書の著者(1608)
ルイス・デ・フロイス:西欧語による最初の日本史を著わす。日本と西洋の交流史研究に必須の書。
ジョルジュ・アルヴァレス:日本に関するヨーロッパの言語による最初の報告書を1547年に著わす。
フランシスコ・ジャヴィエル:1549〜1551年にかけ、ポルトガル国王に派遣され、日本に於けるキリスト教伝道に尽力した。
ミニチュアの出島。この島とこの6名がいたからこそ、今の僕らがあるのだろう。
長崎ではずっと"るろうに剣心"のendingが頭を流れていた。
"L'Arc〜en〜Ciel - The Fourth Avenue Cafe"
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砂糖が伝わったから長崎はカステラが有名なんだって、僕は初めて知った。ストレスが充満し寂しさを埋めるための物が溢れる日本、複雑な悩みを抱えた現代人。きっと甘い物がなかったらもっと大変なことになっていたことだろう。そんな伝道師ポルトガル人に感謝の気持ちを送りたい。
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