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物事を考え、新しい「1」を創り出す

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長崎ランタンフェスティバルの直前 / 気を抜くこと休むこと / 長崎新地中華街を歩く

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長崎に来たら訪れようと思っていたのが「長崎新地中華街」だ。関東に住んでいると「横浜中華街」が想起されるけれど、九州といえば、長崎だ。江戸時代、オランダ人だけでなく中国人との交流もあったことで、現代まで続く繁華街となっていた。

 

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そして街を歩けば、「長崎ランタンフェスティバル」の準備がなされていた。

 

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長崎新地中華街の通りを抜けると当日使われるであろう置物たちがお出迎え。

 

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美しいがどこか命が足りない感覚。

 

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人にも物にも「命」を与えるのは、やはり「光」なのかもしれない。

 

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少し傍らには動物たちが乱雑に。僕はこの写真に「地獄絵図」という題名を付けた。

 

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それにしても全ての造形が本当に素晴らしい。生き物が生き物としてしっかりと存在している。

 

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ここで一つ、「#床か壁か #floororwall」

#床か壁か • Instagram photos and videos

 

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それぞれのお店が出店され、その上にランタン造形達。奇怪だ。

 

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培われた文化の中で、日本と中国、その他の国の要素が組み込まれてこれらの形は生まれていったのだろう。

 

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 photo: ようこそ 長崎新地中華街へ

いつかはちゃんとランタンの世界へ

 

最高のパフォーマンスをするときは、最高に輝く本番1回でもいい。それまでは、気を抜きながら「休む」ということも必要だ。ずっと強く張られた糸はいつかきっと切れてしまう。それと同じように緊張はずっとはもたないのだから。けれど、その緊張も自分ではなかなか気づけないもので、誰かにそっと声をかけられてやっとわかったりする。そんな気を配りながらの人との関わり方を増やしていきたい。

 

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*引用/参考資料

ようこそ 長崎新地中華街へ

冬・長崎ランタンフェスティバル|長崎・四季まつり|長崎市公式観光サイト「 あっ!とながさき」

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海外と日本の架け橋"出島" / ポルトガルと日本の友好モニュメント / 砂糖を伝えた人々

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日が昇り、身支度をし出発。昨日綺麗な夜景が広がっていた場所には、代わりに大きな海が広がっていた。昼と夜で2つの顔がある。人も海も街も同じなのかな?なんて考えていた。

 

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少し早起きをして、まずは歴史の教科書の定番「出島」を訪れることにした。

 

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 photo: 出島 Dejima 〜つながる出島〜

ポルトガル人が種子島に漂着したのは1543年。それから100年後の鎖国が終わるまで、日本とポルトガル人の関係は深いものだったと言う。"パン"や"タバコ"などの言葉は今でも使われているし、「砂糖」が伝えられたことでお菓子文化が日本に広がっていった。

 

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少し中を探検してみると、「畳の上に盆栽」。

 

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そんな親交深いポルトガルとの友好関係を表したモニュメントが、この「フレンドシップメモリー」だ。

 

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ザビエルやアルメイダなど日本との交流に尽力した6名の顔が彫られ、顔の裏には一人一人の名前と功績が書かれている。泳ぐように6人を繋ぐ2人は"人と人の繋がり"を表しているのかな?

 

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足元には

 

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それぞれの名前。そして、裏には、、、

 

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一人一人の説明。

ヴェンセスラウ・デ・モラエス:作家。日本人の魂を最も深く知った西洋人。近代の日本をポルトガル及びブラジルに紹介。

 

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ルイス・デ・アルメイダ:西洋外科術の紹介者。南蛮塾日本最初の病院、らい病院、産児収容所を創設する。

 

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ジョアン・ロドリゲス:今日、尚、日本語の科学的研究の出発点とされている最初の日本語文法書の著者(1608)

 

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ルイス・デ・フロイス:西欧語による最初の日本史を著わす。日本と西洋の交流史研究に必須の書。

 

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ジョルジュ・アルヴァレス:日本に関するヨーロッパの言語による最初の報告書を1547年に著わす。

 

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フランシスコ・ジャヴィエル:1549〜1551年にかけ、ポルトガル国王に派遣され、日本に於けるキリスト教伝道に尽力した。

 

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ミニチュアの出島。この島とこの6名がいたからこそ、今の僕らがあるのだろう。

 

長崎ではずっと"るろうに剣心"のendingが頭を流れていた。

"L'Arc〜en〜Ciel - The Fourth Avenue Cafe"

 

こちらもおすすめ。

 

砂糖が伝わったから長崎はカステラが有名なんだって、僕は初めて知った。ストレスが充満し寂しさを埋めるための物が溢れる日本、複雑な悩みを抱えた現代人。きっと甘い物がなかったらもっと大変なことになっていたことだろう。そんな伝道師ポルトガル人に感謝の気持ちを送りたい。

 

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*引用/参考資料

出島 Dejima 〜つながる出島〜

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福岡から長崎へ / 特急かもめ / 長崎の夜景・素晴らしき景色

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少し前の話になるのだけれど、九州に行った時のこと。僕はどうしても行きたい場所があり、福岡から長崎への電車に飛び乗った。

 

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乗ったのは「特急かもめ 長崎行き 自由席」。長崎までは2時間ほどだといい、僕は疲れていたこともあり、少し眠りについた。

 

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到着した長崎ステーション。長崎に来るなんて高校の修学旅行以来だ。少し失恋のことを思い出した。

 

https://www.instagram.com/p/BBKvrrDqIUJ/

僕が行った時は、ちょうど長崎のビッグイベント"長崎ランタンフェスティバル"が始まる時期。駅前にランタンの造形が置かれていて、ものすごい迫力がある。

 

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目的はまた次の日なので、今日は何も考えず何も考えず。民宿までの道中、長崎の夜景に酔いしれた。

 

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「おいでまっせ!」。今日は体を休め、次の日のあの島に備えよう。

 

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少し甘い物が食べたくなり、コンビニへと足を向けた。190円ぐらいのコンビニのコーンアイスを買って、僕はまた夜景を探しに行くことにした。そして、見つけたのがこの場所だった。

 

海外には広大な景色が広がる場所がまだまだたくさんあるという。けれど、日本にふと目を向けてみても、ちゃんと素晴らしい景色がたくさんあることを忘れてはいけない。そう思うと、景色を素晴らしいと思うためには、誰もがいいという景色を見ることではなくて、"自分がどこまで心を開けたか"によって、どんな景色も美しく見えるのではないだろうか。

 

ではあの島を楽しみにして眠ろう。

 

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*引用/参考資料

冬・長崎ランタンフェスティバル|長崎・四季まつり|長崎市公式観光サイト「 あっ!とながさき」

九州行くなら新幹線 特急かもめ

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映画"20th Century WOMEN" / 変わること変わらないこと / 母親の姿を思い返す

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 photo: 映画『20センチュリー・ウーマン』公式サイト

映画を観てきた。「20th Century WOMEN」という映画を。

 

物語は二人の親子がスーパーマーケットにいて、突然自分たちの車が炎上することから始まる。しかし、動揺を隠せない様子を見せながら、母親は火を消しにきた消防士たちを自分の誕生日会へ招待する。その行為に、息子は呆れながらも、そんな母親を愛しているような様子を見せる。シリアスやローテンションの雰囲気に進むかと思いつつ、英語で言う"Funny"がぴったりな可笑しさを感じるスタート。

 

メインとなる出演者は5人。

「自分の時代、タバコは健康によかった。」といつ時もタバコを吸い、成長し変わってゆく息子が理解できないながらも、新しい時代の物を学び受け入れようとするDOROTHEA演じる"ANNETTE BENING"。

母を愛しながらも自分を理解してないことへの苛立ちからパンクロックが好きになりつつも、関わる女性達からフェミニズムを学び自分や他人を理解しようと努力するJAMIE演じる"LUCAS JADE ZUMANN"。

自分を目立たせるために髪を赤に染めパンクな一面を見せながらも、子宮頸癌を患いドロシア達と同居することになり、ジェイミーへ女を理解させつつ、写真家として自分を表現しつづけるABBIE演じる"GRETA GARWIG"。

セラピストの母親を持ち、日常では男との体の関係は多いながら、毎晩幼馴染のジェイミーの部屋に忍び込みセックスなしで一緒に添い寝するだけを繰り返すJULIE演じる"ELLE FANNING"

最後に、自動車修理屋として働きながら、持ち前の色気で多くの女性と体の関係はあったが毎回女性から心を開かれず、自分の存在について考え苦悩するWILLIAM演じる"BILLY CRUDUP"。

  

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 photo: My Mother Before Me — 20th Century Women

「いい映画とはどういうものを言うのか」と考えたことがあるけれど、僕は「答えではなくヒントを与えてくれる映画」こそいい映画なのではないかと考えている。

今回僕はこの映画を見ながら、自分の母親の人生を考えていた。先日61歳になった母親もドロシアと同じように様々な自分を探しながら、今にたどり着いた。だからこそ、20代や30代ではわかることのない感情や世の中を知っているし、ある程度他人の声がわかる部分もあるのだろう。けれど、だからこそ新しい物を受け入れづらくなり、今までの自分の中にできた常識で生きてしまう部分もある。

ドロシアが息子ジェイミーに本を音読されて怒ったシーンがあった。「私はもう本から学ぶことはない。」と。そのあと、ドロシアはジェイミーやアビーが出入りするライブハウスに行き、若い世代のカルチャーを理解しようとした。

 

変わることに遅すぎることはないし、自分の大切な軸はブラさず新しい物へ挑戦したりする人こそかっこいい。そして、そういう人ほどいつまでも若々しくいられるのでないだろうか。細胞が活性化するから肌や表情に明るさが現れることで、見た目もどんどん若くなる。全部を受け入れてみるべきだとは思わない。けれど、知るということ、わかった気にならないということは、変化の激しい現在にとても大切な心意気なのではないかと感じる。

 

変わらず変わっていこう。

 

 

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*引用/参考資料

映画『20センチュリー・ウーマン』公式サイト

20センチュリー・ウーマン - Wikipedia

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カンボジア・ラオスの旅 [18] / ジャールのおかわり / 「それをしたい」という理由なんて

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「おかわり」

それは「自分はまだ満足していないから、もう少しだけでいいからちょうだい。」という期待と欲望と名残惜しさの行為。今回僕は、ジャール平原におかわりを与えられた。

実はSite2は一箇所だと思い、車に戻ったらSさんに言われた。「違う方見ました??」って。僕は「えっぅぅぅ??違う方?もう一つあるんですか?」ってタジタジの言葉を発した。そして向かったSite2のおかわり。

 

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坂を登るとありましたジャールたち。こちらは広い空の丘の上にあった。

 

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こっちのジャールたちは、一つ一つの間隔が空いていて、余裕を感じる。

 

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そして土が沈んでいったからなのか、石壺が地に埋まっている感じを味わうことができる。

 

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Site1で見た蓋つき石壺。その蓋の部分が地面に置かれていた。真ん中に人の形のような痕跡がある。やはり人を祀っていたのだろうか。

 

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下手くそながら「花とジャール」というテーマで写真を取った。リコーのカメラはピントを合わせるのが難しいと、言い訳しておこう。

 

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僕がおかわりができてよかったと思うのは、この丘と広がる空だった。

 

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広大に広がる大地と光り輝く青い空。僕はこの空に向かって、手を合わせ抱負を伝えた。

「ここに来られて本当によかった。また一歩踏み出してみようと思います。また会いましょう。」

 

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長かった「カンボジア・ラオスの旅」も今回が最後。

 

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それでは日本に帰るとしよう。またアジアを巡る旅をしよう。

 

最近、谷川俊太郎さんの本を読んで「なんで詩を書くんですか?」という問いに、谷川さんは「まず書きたいから」という話をしていた。僕はすごく納得した。何かをしたりどこかへ行ったりという最初のきっかけは、「それをしたい!」という純粋な思いからなんだ。そこに理由とか、めんどうな屁理屈はいらない。あとはその先、自分がしたいと思ったこととどれだけ向き合っていけるかが大切になる。

 

何をするにも一番最初の思いは忘れてはいけない。

 

そこが始まりで、きっとそこがゴールなんだから。

 

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*引用/参考資料

D23 地球の歩き方 ラオス 2017~2018(ダイヤモンドビック社/2017年6月)

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カンボジア・ラオスの旅 [17] / ラオスの昼食 / 最後のジャール平原Site2へ

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Site3を堪能した僕らは、しばしの休息を取ることになった。場所は、Site3の入り口すぐのところ。

出てきたのはやはり米麺だ!しっかりと出汁が効いて、野菜も美味しく、すぐに食してしまった。

 

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運転手さんのこの満足げな顔。英語はいっさい喋れない彼だけれど、優しさを十分に伝えてくれた。ラオス人に悪い人がいない、というか、いい人しかいないのは本当に今回心救われた。

お恥ずかしながら、お金を帰国後あまり余らないようにするために調整していたら、意外に足りなくなってしまった。そこでなんとSさんがおごってくれたのだ。「わたし出してあげるわ。」って。車の中でいろいろ話をしていたら、Sさんも心を開いてくれていたらしい。ありがとう。

 

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それでは今回最後の目的地、ジャール平原Site2へ。Site2は他のどれよりも森の中に石壺があるという。

 

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階段が組まれていた。一つ一つ登ってゆく。

 

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数分階段を登ると、大きな木が現れた。

 

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そして、その木の下に発見!木から生まれた子供のように、ここにも多くのジャールが点在していた。

 

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少し掛けているもの。

 

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傾いているもの。

 

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終いには木の根に巻かれてしまったものもいた。

 

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ここでかくれんぼができたら相当盛り上がるし、楽しそうだ。

 

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「はぁ、これで終わりか・・・」という若干の寂しさを覚えながら、車に戻ることにした。しかし、最後のありがたいことに、最後のおかわりが待っていた。

 

このジャールを運んだ人たちが生きていた時代は、より自然を崇め、自然に生かされながら生きていたのかもしれないなと思う。だからこそ、木々の中に石壺を置くことで、木々に守られるようにすることができる。仮に石壺がお墓だという説があっていたら、死者はいつまでも自然からエネルギーをもらい、生きることができる。自然に生かされながら、自然の中で、自然に生きてゆく。無理をしたってダメだ、きっとすぐボロが出る。ラオス人のように、穏やかな気持ちでいられたらいいな。

 

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*引用/参考資料

D23 地球の歩き方 ラオス 2017~2018(ダイヤモンドビック社/2017年6月)

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カンボジア・ラオスの旅 [16] / 手間から得るもの / ジャール平原 Site3へ

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たどり着いたジャール平原Site3。

 

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Site3は大柄な石壺は少なく、小型〜中型の物が木々の間に数多く密集している。

 

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一つ一つの形も美しく、これこそ石壺だと思えるビジュアルをしていた。

 

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せっかくなので記念撮影。はい、チーズ。

 

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パシャ!そう思うと「はい、チーズ」って笑顔にさせる誘導尋問のようだ。

 

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Site3に満足したので元来た道を帰ろう。同じ道を帰るはずなのに、まったく違う景色が広がっているように感じる。

 

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足元には「MAG」。

 

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木々に挟まれ肩身のせまい小屋。

 

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行きにも感じた存在感のある木。きっと彼がこのエリアのボスなんだと感じた。

 

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風が強かったこともあり、声をあげて生きているように感じた。

 

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ありがとうPlain of Jars Site3。

 

Site3のいいところは目的地にすぐ"たどり着けない"ということだと思う。自分の足で歩き、この時の自然や生き物に挨拶をしながら、石壺を目指す。目的地にすぐたどりつけるのであれば、Google mapで旅行でもすればいい。自然には神様が宿るというけれど、その場所ならではの神様を敬いながら、目的地にたどりつくという感覚は、小さなスマフォ画面からは味わうことのできない感覚。

いつだって、少しの旅でもリアルを感じられる方を選んでいたい。これからも。

 

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*引用/参考資料

・D23 地球の歩き方 ラオス 2016~2017(ダイヤモンドビック社/2015年11月)

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カンボジア・ラオスの旅 [15] / 不発弾除去エリア内から出ないで / Site3へ続く解放的な空間

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アルミスプーンのご夫婦にご挨拶後、車はSite2より先にSite3に向かった。

入り口には赤と白の看板があった。内容は、「Unexploded Ordnance Clearance Programme(不発弾除去プロジェクト)」について、通称"MAG"というらしい。2005年の2ヶ月間での成果が書かれていた。

 

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このプロジェクトはUNESCOによって行われている。赤のエリアはまだ危ないので、絶対に白いエリアから出てはいけない。

 

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ここでやっとジャール平原での入場料を払った。

 

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Site3の石壺まではしばし歩くらしい。

 

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Sさんはまたしても颯爽と先を歩いていった。

 

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解放された空間。心が開いた気がした。

 

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牛さん達は穏やかに草を食していた。

 

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警戒心はない。人間も一つの自然のように、気取らず力まず、あるがままの時間を過ごしているように感じた。

 

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木々も生きているみたいだ。

 

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田んぼの間を縫うように小道が続いている。

 

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Sさんはドンドン先を進む。

 

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綺麗な水が流れ、穏やかな風が吹く中で、緩やかな坂を登っていくと柵が現れた。どうやら着いたようだ。

 

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Site3。Site1とは違い、木々の間にたくさんのジャールが点在している。

 

「田舎に住みたい」などとよく言うけれど、その人が発する「田舎」も、僕が思う田舎も、僕の友達が思う田舎も全て異なる。田んぼのみが広がる場所を田舎と言う人もいるし、そこそこしっかりとした町がある場所を田舎という人もいる。では、「田舎に住みたい」というのは何を望んでいることから発せられる言葉なのだろう。

楽をしたい、辛いことがない、天国へ行きたい、おいしい空気の中にいたい、ストレスの少ない環境にいたい、逃げたい。。。「田舎に住みたい」という人がいたら、今度本気度を調べてみるのも面白い。ただ今の環境から逃げ出したいだけかもしれないのだから。愚痴みたいなね。

 

 

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*引用/参考資料

・D23 地球の歩き方 ラオス 2016~2017(ダイヤモンドビック社/2015年11月)

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カンボジア・ラオスの旅 [14] / 温かなラオス人ご夫婦 / アルミのスプーンを作る民家へ

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Site1を見終え、運転手のおじさんはSite2へ向かうのだと思った。しかし、牛がのどかに生きる光景が広がるばかりで、Site2に向かう感じではなかった。

  

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そして数分後。車は止まり、一軒の民家へたどりついた。(なんだ?なんだここは?)

 

https://www.instagram.com/p/BB9hQNyKIWL/

 photo: monokann - Instagram

民家の屋根の下にはラオス人と思われるご夫婦が何やら作業をしていた。何を作っているのだろう。

 

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スプーンだ。

ラオスでは街中にアルミ製品がよく売られている。スプーン、栓抜き、キーホルダーなど様々な物があり、鉄に比べ持った気がしないくらいすごく軽い。聞くところによると、1964-1973年、アメリカ合衆国によってラオスには200万トンもの爆弾が投下された。未だ数多く残る不発弾を溶かしたアルミで、スプーンなどを使っているんだという。

 

 movie: monokann:Making Aluminum Spoons in Laos - YouTube

そんな製造工程を見れるというんだから興味が湧かないはずがない‼︎ 工程は至ってシンプル。

[アルミスプーン製造工程]

①木の型に高温のアルミを流し込む

②固まったら型から取り出す

③更に冷ます

④ヤスリで削るなどして形を整える 終わり

 

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お母さんの作業もリズムカルでしたが、お父さんは貫禄と余裕を感じる作業ぶり。

 

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できたスプーンは輪ゴムで止められ、出荷されていくのだろう。

 

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小屋の柱には、不発弾の一部と見られる部品が物置にされていた。

 

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この民家のご夫婦は優しい笑顔とともに、慣れた手つきでスプーンを作っていた。共同作業にあたたかさを感じる。

 

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民家の周りも、木造の家がまばらに並び、そこら中に牛が歩いているような穏やかな場所。そういう空気が含まれたスプーンなら、きっと使う人にも伝わるはず。人の気持ちは物に宿るのだから。

 

帰り際に「カメの置物かわいい‼︎ ください‼︎」って言ったら、さらに優しい笑顔で「10,000kip(約150円)ね。」と譲ってくれた、、、そこは商売・シビアだった(笑)。

 

環境が人を作るのか、人が環境を作るのか、よく考える。環境が穏やかであれば、人の気持ちも穏やかになるのだろうか。人が穏やかであれば、環境も柔らかくなっていくのだろうか。あなたの周りの環境もあなたが作ってしまっているかもしれないから、少し周りを見渡して見るのもいいかもしれない。

 

この二人がいつまでも元気でいてくれたら心底うれしく思う。

 

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*引用/参考資料

・D23 地球の歩き方 ラオス 2016~2017(ダイヤモンドビック社/2015年11月)

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カンボジア・ラオスの旅 [13] / さまざまな石壺・祭壇への祈り / そして繋がる歴史

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先に進もうと思い先の方を見ると、蓋のような物が乗った石壺が見える。

 

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Site1 唯一の蓋つきジャール。以前記載したように、仮に骨壷説が正しいのであれば、この蓋は荒らされるのを防ぐために乗せられたのではないかと考えられる。

 

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また少し先に進むと、残った破片だけで形を再現する物があった。ちなみに、オレンジの札は、石壺一つ一つを管理するために使用されているようだ。

 

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また、おそらく元々は石を二段に組んでいたと思われるものもあった。二つを重ねることでより高貴な扱いになるのだろうか。位の高い人に使用されたと予想する。

 

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Sさんは常に僕の先を歩いていた。

 

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洞窟もあった。

 

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岩質を調べる事でジャールの石壺がいつできたのか解明できるはず。

 

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洞窟の入り口には、細かな石を積み重ねた物がいくつも見られた。墓か祠かモニュメントか、何のために作られたのかはわからなかった。

 

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洞窟の中には、祭壇が置かれていた。上の穴から差し込まれる光がとても神々しい。当時の人たちはここで祈りを捧げていたのだろうか。

 

当時どういう人たちがどういう目的で活動していたのかは、知る由もない。けれど、残る痕跡を頼りに当時の姿を探す事は、とても想像が膨らんで楽しい。今、僕はパソコンで文字を打っているわけだが、何百年後に生きる人たちは今の僕の気持ちをわかることなどきっとできないだろう。けれど、何百年後に残る痕跡を頼りに今を振り返ったりするのかな。歴史はわからない部分ばかりだけれど、そうやって人が常に繋がっていくことは素晴らしいことだと感じる。

 

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*引用/参考資料

・D23 地球の歩き方 ラオス 2016~2017(ダイヤモンドビック社/2015年11月)

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