カンボジア・ラオスの旅 [18] / ジャールのおかわり / 「それをしたい」という理由なんて
「おかわり」
それは「自分はまだ満足していないから、もう少しだけでいいからちょうだい。」という期待と欲望と名残惜しさの行為。今回僕は、ジャール平原におかわりを与えられた。
実はSite2は一箇所だと思い、車に戻ったらSさんに言われた。「違う方見ました??」って。僕は「えっぅぅぅ??違う方?もう一つあるんですか?」ってタジタジの言葉を発した。そして向かったSite2のおかわり。
坂を登るとありましたジャールたち。こちらは広い空の丘の上にあった。
こっちのジャールたちは、一つ一つの間隔が空いていて、余裕を感じる。
そして土が沈んでいったからなのか、石壺が地に埋まっている感じを味わうことができる。
Site1で見た蓋つき石壺。その蓋の部分が地面に置かれていた。真ん中に人の形のような痕跡がある。やはり人を祀っていたのだろうか。
下手くそながら「花とジャール」というテーマで写真を取った。リコーのカメラはピントを合わせるのが難しいと、言い訳しておこう。
僕がおかわりができてよかったと思うのは、この丘と広がる空だった。
広大に広がる大地と光り輝く青い空。僕はこの空に向かって、手を合わせ抱負を伝えた。
「ここに来られて本当によかった。また一歩踏み出してみようと思います。また会いましょう。」
長かった「カンボジア・ラオスの旅」も今回が最後。
それでは日本に帰るとしよう。またアジアを巡る旅をしよう。
最近、谷川俊太郎さんの本を読んで「なんで詩を書くんですか?」という問いに、谷川さんは「まず書きたいから」という話をしていた。僕はすごく納得した。何かをしたりどこかへ行ったりという最初のきっかけは、「それをしたい!」という純粋な思いからなんだ。そこに理由とか、めんどうな屁理屈はいらない。あとはその先、自分がしたいと思ったこととどれだけ向き合っていけるかが大切になる。
何をするにも一番最初の思いは忘れてはいけない。
そこが始まりで、きっとそこがゴールなんだから。
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*引用/参考資料
・D23 地球の歩き方 ラオス 2017~2018(ダイヤモンドビック社/2017年6月)
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カンボジア・ラオスの旅 [17] / ラオスの昼食 / 最後のジャール平原Site2へ
Site3を堪能した僕らは、しばしの休息を取ることになった。場所は、Site3の入り口すぐのところ。
出てきたのはやはり米麺だ!しっかりと出汁が効いて、野菜も美味しく、すぐに食してしまった。
運転手さんのこの満足げな顔。英語はいっさい喋れない彼だけれど、優しさを十分に伝えてくれた。ラオス人に悪い人がいない、というか、いい人しかいないのは本当に今回心救われた。
お恥ずかしながら、お金を帰国後あまり余らないようにするために調整していたら、意外に足りなくなってしまった。そこでなんとSさんがおごってくれたのだ。「わたし出してあげるわ。」って。車の中でいろいろ話をしていたら、Sさんも心を開いてくれていたらしい。ありがとう。
それでは今回最後の目的地、ジャール平原Site2へ。Site2は他のどれよりも森の中に石壺があるという。
階段が組まれていた。一つ一つ登ってゆく。
数分階段を登ると、大きな木が現れた。
そして、その木の下に発見!木から生まれた子供のように、ここにも多くのジャールが点在していた。
少し掛けているもの。
傾いているもの。
終いには木の根に巻かれてしまったものもいた。
ここでかくれんぼができたら相当盛り上がるし、楽しそうだ。
「はぁ、これで終わりか・・・」という若干の寂しさを覚えながら、車に戻ることにした。しかし、最後のありがたいことに、最後のおかわりが待っていた。
このジャールを運んだ人たちが生きていた時代は、より自然を崇め、自然に生かされながら生きていたのかもしれないなと思う。だからこそ、木々の中に石壺を置くことで、木々に守られるようにすることができる。仮に石壺がお墓だという説があっていたら、死者はいつまでも自然からエネルギーをもらい、生きることができる。自然に生かされながら、自然の中で、自然に生きてゆく。無理をしたってダメだ、きっとすぐボロが出る。ラオス人のように、穏やかな気持ちでいられたらいいな。
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・D23 地球の歩き方 ラオス 2017~2018(ダイヤモンドビック社/2017年6月)
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カンボジア・ラオスの旅 [16] / 手間から得るもの / ジャール平原 Site3へ
たどり着いたジャール平原Site3。
Site3は大柄な石壺は少なく、小型〜中型の物が木々の間に数多く密集している。
一つ一つの形も美しく、これこそ石壺だと思えるビジュアルをしていた。
せっかくなので記念撮影。はい、チーズ。
パシャ!そう思うと「はい、チーズ」って笑顔にさせる誘導尋問のようだ。
Site3に満足したので元来た道を帰ろう。同じ道を帰るはずなのに、まったく違う景色が広がっているように感じる。
足元には「MAG」。
木々に挟まれ肩身のせまい小屋。
行きにも感じた存在感のある木。きっと彼がこのエリアのボスなんだと感じた。
風が強かったこともあり、声をあげて生きているように感じた。
ありがとうPlain of Jars Site3。
Site3のいいところは目的地にすぐ"たどり着けない"ということだと思う。自分の足で歩き、この時の自然や生き物に挨拶をしながら、石壺を目指す。目的地にすぐたどりつけるのであれば、Google mapで旅行でもすればいい。自然には神様が宿るというけれど、その場所ならではの神様を敬いながら、目的地にたどりつくという感覚は、小さなスマフォ画面からは味わうことのできない感覚。
いつだって、少しの旅でもリアルを感じられる方を選んでいたい。これからも。
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・D23 地球の歩き方 ラオス 2016~2017(ダイヤモンドビック社/2015年11月)
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カンボジア・ラオスの旅 [15] / 不発弾除去エリア内から出ないで / Site3へ続く解放的な空間
アルミスプーンのご夫婦にご挨拶後、車はSite2より先にSite3に向かった。
入り口には赤と白の看板があった。内容は、「Unexploded Ordnance Clearance Programme(不発弾除去プロジェクト)」について、通称"MAG"というらしい。2005年の2ヶ月間での成果が書かれていた。
このプロジェクトはUNESCOによって行われている。赤のエリアはまだ危ないので、絶対に白いエリアから出てはいけない。
ここでやっとジャール平原での入場料を払った。
Site3の石壺まではしばし歩くらしい。
Sさんはまたしても颯爽と先を歩いていった。
解放された空間。心が開いた気がした。
牛さん達は穏やかに草を食していた。
警戒心はない。人間も一つの自然のように、気取らず力まず、あるがままの時間を過ごしているように感じた。
木々も生きているみたいだ。
田んぼの間を縫うように小道が続いている。
Sさんはドンドン先を進む。
綺麗な水が流れ、穏やかな風が吹く中で、緩やかな坂を登っていくと柵が現れた。どうやら着いたようだ。
Site3。Site1とは違い、木々の間にたくさんのジャールが点在している。
「田舎に住みたい」などとよく言うけれど、その人が発する「田舎」も、僕が思う田舎も、僕の友達が思う田舎も全て異なる。田んぼのみが広がる場所を田舎と言う人もいるし、そこそこしっかりとした町がある場所を田舎という人もいる。では、「田舎に住みたい」というのは何を望んでいることから発せられる言葉なのだろう。
楽をしたい、辛いことがない、天国へ行きたい、おいしい空気の中にいたい、ストレスの少ない環境にいたい、逃げたい。。。「田舎に住みたい」という人がいたら、今度本気度を調べてみるのも面白い。ただ今の環境から逃げ出したいだけかもしれないのだから。愚痴みたいなね。
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・D23 地球の歩き方 ラオス 2016~2017(ダイヤモンドビック社/2015年11月)
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カンボジア・ラオスの旅 [14] / 温かなラオス人ご夫婦 / アルミのスプーンを作る民家へ
Site1を見終え、運転手のおじさんはSite2へ向かうのだと思った。しかし、牛がのどかに生きる光景が広がるばかりで、Site2に向かう感じではなかった。
そして数分後。車は止まり、一軒の民家へたどりついた。(なんだ?なんだここは?)
photo: monokann - Instagram
民家の屋根の下にはラオス人と思われるご夫婦が何やら作業をしていた。何を作っているのだろう。
スプーンだ。
ラオスでは街中にアルミ製品がよく売られている。スプーン、栓抜き、キーホルダーなど様々な物があり、鉄に比べ持った気がしないくらいすごく軽い。聞くところによると、1964-1973年、アメリカ合衆国によってラオスには200万トンもの爆弾が投下された。未だ数多く残る不発弾を溶かしたアルミで、スプーンなどを使っているんだという。
movie: monokann:Making Aluminum Spoons in Laos - YouTube
そんな製造工程を見れるというんだから興味が湧かないはずがない‼︎ 工程は至ってシンプル。
[アルミスプーン製造工程]
①木の型に高温のアルミを流し込む
②固まったら型から取り出す
③更に冷ます
④ヤスリで削るなどして形を整える 終わり
お母さんの作業もリズムカルでしたが、お父さんは貫禄と余裕を感じる作業ぶり。
できたスプーンは輪ゴムで止められ、出荷されていくのだろう。
小屋の柱には、不発弾の一部と見られる部品が物置にされていた。
この民家のご夫婦は優しい笑顔とともに、慣れた手つきでスプーンを作っていた。共同作業にあたたかさを感じる。
民家の周りも、木造の家がまばらに並び、そこら中に牛が歩いているような穏やかな場所。そういう空気が含まれたスプーンなら、きっと使う人にも伝わるはず。人の気持ちは物に宿るのだから。
帰り際に「カメの置物かわいい‼︎ ください‼︎」って言ったら、さらに優しい笑顔で「10,000kip(約150円)ね。」と譲ってくれた、、、そこは商売・シビアだった(笑)。
環境が人を作るのか、人が環境を作るのか、よく考える。環境が穏やかであれば、人の気持ちも穏やかになるのだろうか。人が穏やかであれば、環境も柔らかくなっていくのだろうか。あなたの周りの環境もあなたが作ってしまっているかもしれないから、少し周りを見渡して見るのもいいかもしれない。
この二人がいつまでも元気でいてくれたら心底うれしく思う。
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*引用/参考資料
・D23 地球の歩き方 ラオス 2016~2017(ダイヤモンドビック社/2015年11月)
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カンボジア・ラオスの旅 [13] / さまざまな石壺・祭壇への祈り / そして繋がる歴史
先に進もうと思い先の方を見ると、蓋のような物が乗った石壺が見える。
Site1 唯一の蓋つきジャール。以前記載したように、仮に骨壷説が正しいのであれば、この蓋は荒らされるのを防ぐために乗せられたのではないかと考えられる。
また少し先に進むと、残った破片だけで形を再現する物があった。ちなみに、オレンジの札は、石壺一つ一つを管理するために使用されているようだ。
また、おそらく元々は石を二段に組んでいたと思われるものもあった。二つを重ねることでより高貴な扱いになるのだろうか。位の高い人に使用されたと予想する。
Sさんは常に僕の先を歩いていた。
洞窟もあった。
岩質を調べる事でジャールの石壺がいつできたのか解明できるはず。
洞窟の入り口には、細かな石を積み重ねた物がいくつも見られた。墓か祠かモニュメントか、何のために作られたのかはわからなかった。
洞窟の中には、祭壇が置かれていた。上の穴から差し込まれる光がとても神々しい。当時の人たちはここで祈りを捧げていたのだろうか。
当時どういう人たちがどういう目的で活動していたのかは、知る由もない。けれど、残る痕跡を頼りに当時の姿を探す事は、とても想像が膨らんで楽しい。今、僕はパソコンで文字を打っているわけだが、何百年後に生きる人たちは今の僕の気持ちをわかることなどきっとできないだろう。けれど、何百年後に残る痕跡を頼りに今を振り返ったりするのかな。歴史はわからない部分ばかりだけれど、そうやって人が常に繋がっていくことは素晴らしいことだと感じる。
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カンボジア・ラオスの旅 [12] / 調査団との出会い / 本当に自分がやりたいことを見つめ直す
緩やかな坂を下りながら他の石壺を見に行こう。
こちらには先ほどよりも多くのジャール(石壺)が点在していた。
一体、これらを運ぶために何人の人が動いたのだろう。
movie: monokann: Plain of Jars ジャール平原 Site 1 - YouTube
ぜひ共に現地の空気を味わって頂きたい。石壺と草原。それだけでエネルギーを与えられた気がした。
何やらジャール平原を調査している団体がいる。「何をしているんですか?」と聞くと、「土や石を調べて歴史を調査しているんだ。」という。その顔はすごく生き生きしているように見えた。本当にやりたいことをしているんだという顔。
彼ら彼女らを突き動かしている力は、純粋な興味からだろう。きっと給料は高いわけではない。けれど、自分が本当に好きな事・知りたいことを突き詰めるために活動する。すると、こんなにも晴れやかな顔ができるんだ。決意のある顔は、すごくかっこよく見えた。
人生は一回きりだとわかっていながら、案外自分の欲求からは目をそらしてしまいがちだ。そこには仕事や家庭などの現実的な問題がつきまい、気がつけば思った以上に時間は流れている。決断は遅すぎる事はない。純粋に何がやりたいか、自分の中の自分ともう一度会話してみてもいいのではないだろうか。
この調査団ならきっと素晴らしい功績を残せるんじゃないかと勝手に期待しています。
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カンボジア・ラオスの旅 [11] / たどり着いたジャールの石たち / 点在する存在感を感じる
Site1にたどりついた。Site1に着くと、カートに乗ってジャール平原へ向かうらしい。
ヨーロッパ系青年方に紛れ込み、Sさんと僕もカートに乗り込んだ。なんだか冒険が始まるようなワクワク感があった。
しかし、5分ほど乗ったら到着。案外あっけない。背の高いアロエの横を通る。
改めて"Visitors Guidelines to Plain of Jars"。ルールは守りましょうね。
傘を持つのがSさん。足取りは軽やかだ。
そして、ついにたどり着いたジャールの石たち!!僕は少し叫んだ。
なぜこんな石たちが
何個も何個も
形は崩れようとも
点在しているのだろう。
一緒に映るとなおさら大きさがよくわかる。
中は水とコケ
一通り見終わって先を見ると、まだまだありそうじゃないか!Site1だけでかなりの広さ。
ワクワクはまだまだ終わらない。
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*引用/参考資料
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カンボジア・ラオスの旅 [10] / ジャール平原 / 紀元前1500年の謎
それでは、ジャール平原に訪れよう!と、その前に少し解説。
ピラミッドやストーンヘンジなど、まだまだ謎に秘められた遺跡は全世界に点在しているが、ラオス・シェンクワーン地方にも一つの遺跡がある。
" Plain of Jar ジャール平原 "
Jarとは"壺"の意味。
この地方には穴の空いた巨大な石壺が数カ所に残っている。その総数は1000個を超え、大きな物で3mを超えるものもある。しかし、その目的は未だ詳しくはわかっていない。巨人の酒壺説、乾季の飲み水の保管用壺説など、色々なことが言われている。中でも有力なのが石棺説、つまりは"骨壷"として使用されていた説だ。
1931年、フランスの考古学者コラニーによって、初めて調査が行われた。彼女は、壺の中から、人の骨や 歯、陶器の破片などを発見した。また、石壺の周辺で鍾乳洞を見つけたことで彼女は「遺体を埋葬し、その骨を石壺の中に入れて使用した」と推測した。
現在、現地では、幾つかの調査団が発掘や地質調査を行い、引き続き調査を行っている。(その調査団については後ほど)
見学はSite1〜3までの3箇所行くことができ、Siteによって、石壺の形や大きさ、周辺の環境などが異なるため、それぞれで発見がある。
愛嬌のある形や周辺の長閑な環境も相まって、見れば見るほど好きになっていく遺跡。
それでは、Site1からご紹介
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カンボジア・ラオスの旅 [9] / 日本人女性との出会い / ジャール平原での心得"乗るな・捨てるな・描くな"
朝起きて、眠い目をこすりながら顔を洗い、歯を磨き、髪をセットした。そして、服を着替えながら、最後のカロリーメイト2本を食した。ジャール平原へのツアー車の時間を気にしながら、僕はあと何回朝のルーチンワークをするのだろうなんて考えていた。
ホテルの前にツアーのバンが到着したので、荷物を担いで飛び乗った。昨日、運転手のおじさんの話を聞いていると、仮に僕が10人ほどの団体ツアーに参加すると飛行機に間に合わないことがわかった。でもここまで来てジャール平原にいけないなんてありえない。そこで若干値段は張るが、2名の少数で回れるものを選択した。もう一人も日本人だという。
車に飛び乗ると、どうやら僕が先で、これからもう一人をピックアップしにいくという。少しの坂道を車が登ると数分後、ずいぶん立派なホテルにたどり着いた。
もう一人は少し準備に手間取っているようなので、周りを散歩してみることにした。ラオスは本当に広大な自然が広がっている。
家の色も自然に馴染み、やわらかな雰囲気を朝から感じていた。
よく目を凝らしてみると、
ずいぶん大きな家が、昨日の建設中の家みたいに木材の支えが付けられている。この建物だけは、どこか魔界の邪悪さを感じる。
今回の旅のお決まり。「道がいい」
辺りをうろちょろしていると、どうやらもう一人の準備が整ったようだ。ご対面。
もう一人の日本人は、女性だった。見た目から推測すると40-50歳といったところだろうか。なぜこの人は一人でラオスに、しかもジャール平原を訪れたのだろうと、興味が湧いてきた。
彼女はSさんといい、結婚もしていないとのこと。会社をしばらく休んで旅行に出ているという。話して見ると、目は合わせないがわりとおしゃべりな方なようで、居心地の悪さは感じなかった。
車はまずポーンサワンの観光案内所に到着した。ここで色々と手続きがあるようだ。
僕も中に入らせてもらうと、壁にジャール平原での注意が、ファンキーな絵で描かれていた。「石には、乗ったり、ゴミを捨てたり、落書きしてはいけないよ。」という内容。「そんなことしないよ!」と思う人が大半かもしれないが、過去やってしまった人がいたから、こういう注意書きができる。歴史は大切にしたい。
それでは、第一のジャールへと進んでいこう。
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