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カンボジア・ラオスの旅 [13] / さまざまな石壺・祭壇への祈り / そして繋がる歴史

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先に進もうと思い先の方を見ると、蓋のような物が乗った石壺が見える。

 

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Site1 唯一の蓋つきジャール。以前記載したように、仮に骨壷説が正しいのであれば、この蓋は荒らされるのを防ぐために乗せられたのではないかと考えられる。

 

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また少し先に進むと、残った破片だけで形を再現する物があった。ちなみに、オレンジの札は、石壺一つ一つを管理するために使用されているようだ。

 

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また、おそらく元々は石を二段に組んでいたと思われるものもあった。二つを重ねることでより高貴な扱いになるのだろうか。位の高い人に使用されたと予想する。

 

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Sさんは常に僕の先を歩いていた。

 

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洞窟もあった。

 

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岩質を調べる事でジャールの石壺がいつできたのか解明できるはず。

 

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洞窟の入り口には、細かな石を積み重ねた物がいくつも見られた。墓か祠かモニュメントか、何のために作られたのかはわからなかった。

 

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洞窟の中には、祭壇が置かれていた。上の穴から差し込まれる光がとても神々しい。当時の人たちはここで祈りを捧げていたのだろうか。

 

当時どういう人たちがどういう目的で活動していたのかは、知る由もない。けれど、残る痕跡を頼りに当時の姿を探す事は、とても想像が膨らんで楽しい。今、僕はパソコンで文字を打っているわけだが、何百年後に生きる人たちは今の僕の気持ちをわかることなどきっとできないだろう。けれど、何百年後に残る痕跡を頼りに今を振り返ったりするのかな。歴史はわからない部分ばかりだけれど、そうやって人が常に繋がっていくことは素晴らしいことだと感じる。

 

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*引用/参考資料

・D23 地球の歩き方 ラオス 2016~2017(ダイヤモンドビック社/2015年11月)

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