"夢の場所" / 現れた軍艦島 / まだ人の声が聞こえる廃孤島
船が出発すると、船内のアナウンスが響き渡った。軍艦島コンシェルジュのスタッフが行くまでのエリアや軍艦島について解説してくれるのだ。しかも、その人は元軍艦島の住民だというではないか。話に深さを感じた。出発するとすぐ見えるのは長崎の海岸線沿いを占める工場群の風景だ。三菱重工業の造船所も大きな存在感を放っていた。
また少し行くと大きなクレーンが見える。これは、同じく三菱重工業の"カンチレバークレーン"という、スコットランドから輸入された日本初の電動クレーンだ。歴史的に価値が高く、高さは62メートルある。当時、三菱重工業で作られたものを船に乗っける作業をしていた。かっこいい。
少し先を行って現れたのは「ながさき女神大橋」。見事な斜張橋だ。
そして辺りから徐々に人工物が消え、深い青色の海が広がってきた。
移動中、船内では端島の紹介ムービーが流されていた。以下はmonokannなりの紹介文。
「まだ人の声が聞こえる廃孤島」
"軍艦島"(正式名称"端島")は、1890年から炭鉱が栄えていた工業住居島です。島の大きさは480m × 160m程で、船艦"土佐"に似ていることから軍艦島と呼ばれるようになりました。全盛期には5000人以上の人が暮らし、その人口密度は83,600人/100ha。計算してみると、ディズニーランドとシーの合計面積が約100haで、1日の平均来場者が約85000人(2014年)だと言うから人の密集度に驚かされます。島内には炭鉱や団地だけでなく、市場や公園、学校や病院、プールや映画館など、人が暮らす上で必要な物は揃っていました。世の中の需要が石炭から石油に変わったことで1974年に閉山し、その後約40年、無人の島となっています。ただ暮らしているのが島なだけで、当時ここには今と何ら変わりのない普通の生活があったことに感慨深くなります。
そして、ついに見えてきました「ぐ・ん・か・ん・じ・ま」!!少年のような気持ち。
船内も興奮の雰囲気。
それでは、それでは、上陸してみよう。
僕は「夢の場所」というのが、世の中にいくつかあると思っていて、ずっと心の片隅で挨拶をしたいと思っている。そこに"暮らす"のではなく、あくまで"挨拶"に留めたいのは、そこを夢の場所にしておきたいからなのかもしれない。軍艦島も確実にその一つで、きっと行けないんじゃないかと思っていたけれど、訪れることができた。行動を起こせば、夢の場所にも訪れることができる。心が折れそうになる時もあるけれど、いつでも前を向いていたい。
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*引用/参考資料
・【昔の写真】まだ人が住んでいた頃の軍艦島【当時の生活】 - NAVER まとめ
・三菱長崎造船所 ジャイアント・カンチレバークレーン | 九州の世界遺産
・長崎県道路公社 | 長崎県の有料道路 ながさき女神大橋道路
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