軍艦島へ別れ / 再来の決意 / "ふるさと"について
ゆっくりゆっくり、スルメを噛みしめるように船に戻っていこう。顔みたいだから挨拶をした。
当時使われていたクレーン跡。
同じ道を歩いていても、行きと帰りで見える景色が変わったり、行きでは気づかなかった物に帰りは気づいたりする。一度の経験で知ったかをしてはいけない。色々な見方をしてやっとわかることがある。
別れの切なさよりも、再来を決意して。
1秒1秒は同じに流れているはずなのに、この時は時間が止まっていたような感覚があった。
海と波と軍艦島。
船に乗っている乗客の中で、僕が一番最後まで軍艦島から目を離さなかったと自負したい。またね。
帰りの道中、三菱重工業が「おかえり」と迎えてくれた。
陸へ戻ることへの不思議な安心感を感じていた。人間が作る物は本当に素晴らしいと思う。
これにて長崎の旅も終わり。ちんちん電車はいつまでもなくならないでほしい。
最後に、「長崎くんち"じゃ踊り"」の龍にご挨拶をして、これにて終い。
海があって、陸があって。海の物を食べて、陸の物を食べて。海を眺めて、陸を眺めて。人間は海から生まれたというけれど、大概の時間は陸で育った。そう思うと、故郷は海なのだろうか陸なのだろうか。僕は海を眺めることは好きだけれど、海水浴は好きではない。かといって、ずっと陸だけで過ごしていると、たまに海が見たくなる。体は矛盾しているように思う。お父さんとお母さんがいるように、海と陸もそんな役割なのだろうか。端島は周りが海に囲まれる中で、陸の上に城を気づいた。では、そこに住んでいた人が懐かしさを感じるのは、海を見た時か、陸を見た時か。
-------------------------------------*
*引用/参考資料
・【昔の写真】まだ人が住んでいた頃の軍艦島【当時の生活】 - NAVER まとめ
・軍艦島 ~ 日本最古の鉄筋コンクリート建築・30号棟 : アトリエ隼 仕事日記
-------------------------------------*
*related
*follow me on
いつもご愛読頂き、ありがとうございます。"考える"ってことは"何かを知っていくこと"だと感じています。それは同時に"得たことを吐き出していくこと"でもあります。「呼吸をするように考えていってほしい。」そんな思いが伝わっていることを願っています。よければ以下でフォローして頂けたらうれしいです。今後ともよろしくお願いいたします。
hatena blog