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カンボジア・ラオスの旅 [6] / カンボジア戦争博物館 / 武器を持つ子ども達 × 1歩先に地雷 × 強く笑う明日

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虐殺される知識人

銃を抱える子ども達

平和という言葉を繋ぐ

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※前回の続き

 

カンボジア:争いによる残酷な歴史

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4日目の日が昇った。外は相変わらずの快晴で、でも朝方は冷んやりと肌寒い感覚があった。

日本を発つ数週間前、僕は"地球の歩き方"を見ながら、一つ気になる場所があった。それが「カンボジア戦争博物館」だ。今思えば、なぜ惹かれたのかよく思い出せない。戦争を知っておきたいという安い正義感か、アニメ"ガールズ&パンツァー"を見ていた影響か、それともこの場所に呼ばれた気がしたからか。けれど、僕はここだけは訪れないといけない感覚があった。

「カンボジア戦争博物館」は、インドシナ戦争時や、カンボジア内戦時に使用された戦争兵器や当時の写真などが展示されている。カンボジアの歴史をまずは振り返る。

インドシナ戦争とは・・・

インドシナ半島は、中国の下側にある半島で、現在のベトナム・ラオス・カンボジアに加え、タイやミャンマーの地域を指す。当時フランス領土であった関係でフランスによってその名がついた。1946年、インドシナ半島でフランスとベトナム独立同盟(ベトミン)による争いが始まり、その争いは、ベトナム全土だけでなくカンボジアやラオスにまで広がっていった。一方、当時若干20歳前後の(後に国王となる)ノロドム・シアヌークは武力でフランスに対抗するのは難しいと考え、カンボジア独立運動を立ち上げ、フランスからの脱植民地化を目指し交渉を進めた。その後、1953年に遂にフランスから完全独立を達成し、1954年には、ジュネーヴ協定により和平が成立された。 

 

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 photo: Cambodian Civil War - Wikipedia

カンボジア内戦とは・・・

カンボジアを独立に導いたシアヌークは、市民の信頼も高く、国王となった。しかし、すぐに王位を父親に渡し、カンボジアでの社会主義政策を開始した。当時、1965年頃はベトナムとアメリカによるベトナム戦争が始まった時。シアヌークはベトナム戦争では中立の立場を保っていたが、国内でのベトミンによる活動は黙認していた。その対応が気に入らなかったアメリカは、シアヌークが中国とモスクワに外遊している間に、"ロン=ノル"という男に力を貸した。彼はクーデターを起こし、カンボジアの首相にまで就任した。当然、シアヌークはその動きに反発し、当時カンボジア内に存在した共産主義勢力"クメール=ルージュ"と手を組んで、ロン=ノル政権と対立した。この対立がカンボジア内戦となり、50万人以上のカンボジア人が死亡したという。この内戦は、1991年にパリでカンボジア和平協定が成立するまでの22年間も続いた。

 

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 photo: Tyrants and Dictators - Pol Pot (MILITARY HISTORY DOCUMENTARY) - YouTube

ポル=ポト政権・・・

内戦中の1975年、首相はロン=ノルに変わり、"Pol Pot ポル=ポト"が政権を握った。ポル=ポトは、「原始共産主義」という、狩猟時代のように「得たものはその場で消費する=物を持たない=富を形成しない=階級・位の差が生まれない」という考え方を推奨した。実際に行った行為は残虐で、「知識人(と思われる人も含む)」を根絶するというもの。つまりは、虐殺だ。例えば、「本を読んだ=知識人=虐殺、海外へ行った=他の文化を知っている=知識人=虐殺、手が綺麗=農作業しない=知識人=虐殺」という具合だ。

 

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また、ポル=ポトは、大人ではなく子供を積極的に活用した。13歳以下の子供に、兵士はもちろん、強制収容所の監視員や医者までさせたと言われている。知識のない子供に医療をさせることを想像してほしい。。。恐ろしさしかない。ポル=ポトは以下の指令書を発行している。

ポル=ポトの指令書・・・ 

「我々は独自の世界を建設している。新しい理想郷を建設するのである。したがって伝統的な形をとる学校も、病院も要らない。貨幣も要らない。 たとえ親であっても社会の毒と思えば微笑んで殺せ。今住んでいるのは新しい故郷なのである。我々はこれより過去を切り捨てる。 泣いてはいけない。泣くのは今の生活を嫌がっているからだ。 笑ってはいけない。笑うのは昔の生活を懐かしんでいるからだ。」

亡くなった方は、数百万人に及ぶという。こんな時代が数十年前にカンボジアであったことを覚えておきたい。 

 

カンボジア戦争博物館へ

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そんな様々な歴史を踏まえて、僕は「カンボジア戦争博物館」に訪れた。暇そうなおじさんに入場料の5ドルを支払い、いざ入り口を抜けた。"Welcome"という歓迎を受けて、空間の広さを確認する。生い茂る木々の中に多くの戦車が見受けられる。観光客は指で数えるほどしかいない。奥行きは長く、入り口左側にはミュージアム・ショッップがあり、右側にはヘリコプターも見受けられた。日本に暮らしているせいか、なんだか"博物館"と聞くと、綺麗な建物の中で、指紋のないケースに昔の物が保管されているイメージを持っていたが、なんという青空博物館だろう。

 

※始めに伝えさせて頂くと、僕は戦車やヘリコプターには詳しくありません。以下は、調べたなりにわかった機体の名前を記載していますが、もし間違いがあればお伝えください。詳しい方は教えて頂きたい。

 

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僕はまず右側のヘリコプターを見ることにした。こちらは旧ソ連製の"Mi-24"のヘリコプター。映画ダイハードやアニメこち亀にも使用されている機体だ。奥には戦闘機もあった(名前はわかない)。

 

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Mi-24の後ろから内部を覗くと、当時のそのままの姿があった。

 

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戦闘機のエンジン部を見た。当時、ここから高熱が吐き出されていたのだろう。

 

戦車を間近で感じる

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それでは、 戦車を見ていこう。その前に一言、「道がいい」。

 

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戦争博物館では7割ほどの機体には説明文が添えられている。手書きが味を醸し出している。

始めは、T54(写真奥)。ソ連が作った中戦車で、1979年から1994年まで使用されていた。展示というより、より自然に(そのままに)戦車が置かれているという印象。手で触れ、自分の背丈と比べ、過去を感じることができる。戦車に乗るのはどんな気持ちなんだろうなんて考えていた。

 

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続いても、ソ連が1962年に産み出した"DM.2"。DM2はcan swimという記載があるように、水陸両用車だ。内部を覗くと錆だらけだけれど、構造が少しわかる。

 

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こちらはDCA 23mm、通称ZU-23。対空機関砲で、23mm口径の機関砲を発射する。戦車の上に取り付けていたパターンが多いという。

 

小型銃の軽さと重み

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戦争博物館では、実際に使用されていた小型銃や爆弾を手に持つことができる。もちろん今はもう使えないようになっているからご安心を。持ってみると意外に軽くて驚いた。気持ちが高揚する一方で、すぐ後に怖さが体を揺すった。

 

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腹ばいになりながら撃っていたのだろう。

 

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13歳以下の子供たちは、どんな気持ちで銃の引き金を引いていたのだろう。

 

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投下爆弾も持つことができる。一つ持つのも少し大変な重さ。もしこれが実際に爆発する本物であったらと考えると、戦争時の緊張感というのは常軌を逸していると感じた。

 

 

地雷がある、次の一歩はどこを踏む?

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地雷。それは地中に埋められ、人や機体が上に乗ると起爆する兵器。人の足を奪い、腕を奪い、人生を変える兵器。その恐ろしさや空気を感じることができた。

 

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展示されている地雷。

 

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その威力は地面を吹き飛ばす。あまりの穴の広さに恐怖しかなかった。

 

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地雷の危険がある場所には「Danger!! Mines!!」という警告板が置かれていた。

 

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例えば、この看板が無くて、普通に道を歩いていて、次の一歩先に地雷が埋まっているとしたら。僕らは自分の足を進めることができるだろうか。

 

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地雷探知機を使用する人の模型。命をかけた仕事。 

 

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地雷の被害を受けた人々。同情するのも違う、悲しむのも憐れむのも違う。ただ、そういった事実があったことを心に止めないといけない。そして、次に繋げないようにしていかないといけない。

 

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足がない。腕がない。それでもなぜ彼らは笑えるのだろう。本人は恨みを感じても、その気持ちをどこにぶつけていいかわからないはず。人を恨んでも、足や手が返ってくるわけではない。それでも彼らは笑い、努力し、"普通"という生活を生きていく。

 

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強さというのは、内面から出てくるものだと痛感する。喜びも悲しみも理解し、自分の中の決意が固まると、それは強さとなり表情に表れていく。ちびまる子ちゃんのTシャツを着る少年の顔を僕は忘れることができない。

 

言葉なしで

最後に幾つかの写真を言葉なしに載せたい。 

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「平和」という言葉

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なぜ「平和」という言葉があるかと考えると、「虐殺」や「戦争」という逆の黒い言葉があったからだと感じる。「どうにかひどい世界ではないでほしい」という願いや希望を込めて、世の中にはポジティブな言葉があるのではないだろうか。「人生は楽しんだ者勝ちだ」と誰かが言っていた。それは、どんなにひどいことをされても、理不尽だと思う世の中でも、明日を思い強く笑った者のことを指すのだと思う。年月が経っても、人は次の世代へと繋がっていく。次の世代が笑える世の中を僕らは作っていくべきなのだと、小さな正義感を振りかざして、僕はカンボジア戦争博物館を後にした。

 

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※冒頭でも書いたように、戦争博物館にはミュージアム・ショップもある。"Danger!! Mines!!"のカードをたくさん買って、至る所に置くようなおフザケは、絶対にやってはいけないぞ!!

 

 

※カンボジア・ラオスの旅 no.7に続く →→→

 

 

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*引用/参考資料

・D22 地球の歩き方 アンコール・ワットとカンボジア 2017~2018(ダイヤモンドビック社/2016年12月)

カンボジア - Wikipedia

カンボジアの歴史 - Wikipedia

戦争博物館 口コミ・写真・地図・情報 - トリップアドバイザー

カンボジア内戦 - Wikipedia

世界史の窓

ポル・ポト - Wikipedia

Tyrants and Dictators - Pol Pot (MILITARY HISTORY DOCUMENTARY) - YouTube

Mi-24 (航空機) - Wikipedia

T-54 - Wikipedia

Les véhicules et armes fixes de BATTLEFIELD BAD COMPANY 2

ZU-23-2 - Wikipedia

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