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カンボジア・ラオスの旅 [3] / レリーフに込められた神話 / アンコール・ワット周辺を歩く × 道がいい

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壁画に込められた絵の強さ

それぞれの日常

道がいい

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※前回の続き

 

レリーフの躍動感

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前回、アンコール・ワット紹介の中で書いたこと。

見学の際に、建築で特に注目したいのは、壁画だ。少し敷地内を歩けば、女神を意味する"デバター像"が壁に描かれており、一つ一つ表情も服装も異なるため、丹念に掘られ描かれていったことがわかる。また、"レリーフ"と呼ばれる浮き彫りの彫刻も注目だ。ヒンドゥー教などに代々伝わる物語や経典を題材に、壁一面に彫られており、見るものを圧倒する強さがある。

 

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レリーフは、アンコール・ワットの外周を囲む"第一回廊"に描かれている。例えば、入ってすぐの左右に広がる西面には、インド古代の叙事詩「ラーマーヤナ」の1場面があり、その反対側には同じくインド古代の叙事詩「マハーバーラタ」の1場面がある。他にも、ヒンドゥー教の経典「バガヴァット・ギーター」、ヒンドゥー教の神"クリシュナ神"の物語「ハリヴァンシャ」などがある。また、南面には創建者スールヤヴァルマン二世の行軍が描かれるなど、アンコール・ワットを象徴する描写もある。

 

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 photo: Ramayana - Wikipedia

「Ramayanaラーマーヤナ」の物語は、現代の世の中でも、カンボジアの芸のパフォーマンスとして幅広く行われているので、行った際はチェックしたい。

[ラーマーヤナの物語] ※地球の歩き方より

昔、コーサラ国の王位を追われたラーマ王子は、妻のシータ姫と弟とともに森林で隠棲していた。以前からシータ姫を手に入れようと狙っていた魔王ラーヴァナは、シータ姫をさらい監禁してしまう。ラーマ王子はシータ姫を救出に向かうが、途中でサルの王スグリーヴァに会い、スグリーヴァが妻を兄に奪われてしまったことを聞く。境遇が似ていることに同情したラーマ王子はスグリーヴァに加勢し、スグリーヴァの兄を討ち滅ぼした。恩返しにスグリーヴァはラーマ王子に協力を約束し、サル軍を率いてラーヴァナの住むランカー等へ攻め込んだ。戦いは壮絶を極めたが、サル軍の将ハヌマーンの活躍や、神鳥ガルーダの助けによりラーヴァナを打ち滅ぼした。しかし、シータ姫の貞操を疑うラーマ王子を見て、シータ姫は悲しみ、火に飛び込んでしまう。火神はシータ姫の貞操を証明し、もとの美しい姿で助け出した。妻を取り戻したラーマ王子は国に戻り、王位に就いた。

 

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レリーフが興味深いのはその描き方だ。レリーフは一つの縦軸に"近景""中景""遠景"の3段階に分割され情景が描かれている。日常生活で見る"遠近法"とは異なるため、人と人との距離感や場面転換など、現実世界とは違う時間が流れているように感じる。

 

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よく見ると、レリーフの表面は擦り減ってきている。それもまた時の経過の仕業だろう。味わい深い。

 

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サルの将"ハヌマーン"は、西遊記の孫悟空のモチーフとも言われているようだ。以前、「#床か壁か」という概念を思いついて現在もInstagramで継続して実施している(みなさんもぜひやってほしい)。もしかしたら、こういったレリーフを見て、「壁とはなにか?」という疑問が"#床か壁か"に繋がっているのかもしれない。吸収したことはどうやって自分の中で消化されるかは本当にわからない。

 

アンコール・ワット周辺を歩く

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アンコール・ワットを堪能した僕はやりたいことがあった。それは、周辺を歩き探検することだ。"観光スポット"という物はなぜかその場所へ行ったということだけで満足してしまう人が多いように感じている。けれど、よく言う"せっかく来た"のだから、ガイドブックにもインターネットにも載っていない部分を探検しようではないか。きっとそこには大切なことを感じるチャンスがあるのではないかと考えている。

ということで僕はアンコールワットの中心部から離れ、辺りを歩き始めた。

 

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まずは食堂やみやげ物屋エリア。先ほどまで、遺跡や壁画をずっと見ていたので、久しぶりに色のある場所に来たように感じて少々驚きを隠せなかった。それに加え、この通りを歩けば、現地のおばさまや手伝いの娘さんに声をかけられる。「オニイサン!オニイサン!ニッポンジン?ニッポンジン?コレカッテイッテ!」といった大阪のおばちゃんよりも強引ではないかと思うほど、強気なカタコト日本語で誘いこんでくる。僕は、時には聞こえないフリをして、時にはわざと誘いに乗ったりしていた。

 

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アジアへ来ると必ず観光地の絵を描いて売っているお店がたくさんある。神を描いて商売をする。神はみんなの物であり、平等だからこそ利用してもよい存在だということだろうか?

 

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少しみやげ物屋の裏手に行くと、何ともシュールなおじいさんが飾られていたりする。これは仏壇だろうか。

 

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こちらは少し新し目。頭にソフトクリームが乗っていた。もし命があったら、何を考えているのだろう。

 

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ミニ獅子"シンハ"と、ミニ蛇神"ナーガ"と、ゾウ。かわゆい。

 

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カンボジアのお墓もあった。日本と形は違えど、小さな扉を開き骨を入れることを同じなようだ。どの国でも死者への尊敬は行われていた。

 

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フォルムがすごく美しい。

 

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上側に神々しい絵が描かれた建物。

 

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タバコを吸う坊主。

 

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路地裏は僕の好物でもある。

 

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それでは壮大な木々のトンネルをくぐって反対の南側へ行くとしよう。

 

道がいい 

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反対側へ行く途中、水の溜まり場"聖池"で写真をとる人々。サンライズの時はとても美しいことだろう。

 

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トコトコ アルイテ タドリツイタ ハンタイガワ。親子のような木があった。

 

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南側は、北側のみやげ物屋ゾーンとは異なり人の気配を感じづらかった。にしても、「道がいい!」。永遠と続きそうなロングストレートがたまらない。

 

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少し歩くと古びた家があった。

 

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こちらも家。というよりも小屋に近い。冒険精神をくすぐる空間。

 

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なんだろう、この入り口は。

 

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入ると、またさっきとは違うおじいちゃんが。

 

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こちらは上裸の兄さんと、志村けん。

 

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と思うと、空間が開けて建物が現れた。また坊主がいる。どうやらこの建物は坊主達が生活や修行をする場所のようだ。

 

 movie: monokann:walking around Angkor Wat - YouTube

永久的に揺れ続けるハンモック。何よりの幸せな時間なのだろう、その幸せを分けてもらえた気がした。

 

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そろそろアンさんとの約束の時間も近づいてきたので入り口側へ戻っていこう。

僕はカンボジアに来てから思うことがあった。それは、「カンボジアの"道"はなんだかとってもいい!」ということだった。永久に続いていきそうな、このままどこまでも行ってしまいたくなるような、それでもきっと行ってしまってはダメなような、そういった心をプラスにもマイナスにもくすぐる素晴らしさがあるように感じていた。なぜいいのか一つ考えた結果がある。きっと、自然が作った緑と、人が開いたであろう人工的な道のバランスがとてもいいからではないか、と。

 

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道がいい。

道は歩いていくものだ。あなたも僕も、今日も明日も道を歩いていく。

 

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道がいい。

例えば、途中で二手に分かれる部分があっても、その先にはまた道がある。もしかしたら、どちらを選んでもまた同じ道に行くかもしれないし、全く別の道かもしれない。

 

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道がいい。

まっすぐ伸びる木、ひねくれている木。歩いた先は光か闇か。

 

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そんなこんなで僕のアンコール・ワットの冒険は終わった。ありがとうアンコール・ワット。ありがとうその時代に生きた人たち。

 

アンコール・トムの門番

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時間は13時過ぎ。続いて、アンコール・ワットよりも広大な敷地内に様々な遺跡がひしめく"アンコール・トム"へと向かっていこう。

アンさんが「アンコール・トムの入り口で、写真を撮ってやる撮ってやる」と意気揚々としていたので、お願いしてみた。若干ポーズも指定され、取られた写真がこれだ。アングル感といい、ズーム具合といい、現地の匂い漂う独特な撮り方をしてくれた。ありがとう(笑)。

 

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入り口手前の左右には、兵隊のように石像が並ぶ。

 

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首なしや、白い顔のやつがいたりと、なかなかの個性派揃いだった。

 

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アンコール・トムの入り口。なんだか目線だけこちらを見ているように見えた。ふと「映画ドラえもん のび太とブリキの迷宮」のラビリンスを思い出していた。

「うははは、よく来たな。此処はあの世へ通じる大迷宮の入口だ。 潜れば二度と生きて帰れない。それを承知の上ならば、さあ、入るがよい」

試されているような気がした。果たしてこの中にはどんな世界が待っているのか。。。

 

寄り道は人の幅を広げる重要なことだと感じている。教科書通りでも誰かの歩いた道でもない、自分らしい自分なりの景色を見ることだと。それがきっと巡り巡って、自分の世界を広げてくれるものになるんだと。今日の帰り道は少し寄り道してみないだろうか?

 

 

 

※カンボジア・ラオスの旅 no.4に続く →→→

 

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*引用/参考資料

・D22 地球の歩き方 アンコール・ワットとカンボジア 2017~2018(ダイヤモンドビック社/2016年12月)

カンボジア - Wikipedia

カンボジアの歴史 - Wikipedia

アンコール・ワット - Wikipedia

Angkor Wat - Wikipedia

Angkor - UNESCO World Heritage Centre

Ramayana - Wikipedia

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