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カンボジア・ラオスの旅 [7] / 頭蓋骨の記憶 × 食の気流れる市場 / 心優しい国"ラオス"に上陸

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死者の記憶を探して

食の集まる場の活気

温和な国民性"ラオス"初上陸

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※前回の続き

 

頭蓋骨とカラフルブッダの"ワット・トメイ寺院"

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前回、ポル=ポト政権の虐殺について書いたが、実際の現場「キリング・フィールド」にも訪れることにした。The Killing Fields、直訳すれば「殺しを行う場所」。カンボジアでもっとも多くの人が虐殺されたのは首都プノンペンだが、ここシェムリアップにもキリング・フィールドがある。それが「Wat Thmei ワット・トメイ寺院」だ。

 ワット・トメイ寺院 map: Google マップ

 

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入り口を抜けると、幾つかの小屋のような物が並んでいる。

 

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一番手前の小屋にはブッダとナーガ像が静かに座っていた。

 

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真ん中の赤く立派な小屋にはガラス越しに頭蓋骨が重ねられている。

 

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この頭蓋骨は虐殺された方々の物。数十年前にこの地で多くの命が奪われたことを忘れないでいたい。

 

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一番奥には、白いブッダがいた。透き通る目が忘れられない。

 

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また、敷地内には格式高い建物がある。おそらくこれが境内。中に入ってみよう。

 

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靴を脱ぎ中に入ると、中央にブッダが腰をすえ、壁と天井にはブッダに関する様々な絵が描かれていた。 

 

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絵に圧倒されつつもまずはご挨拶。膝をつき、手を合わせ、目を瞑る。「失礼いたします」と。

 

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圧巻の絵たち。横壁には幸せを語るような情景がある。

 

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ブッダと共に記念撮影をした。天国とはこういう場所なのかもしれない。けれど、不安のない中に不安を感じる表情が描かれる空間だと感じてもいた。神や仏を讃え、拝み、祈る。きっとその裏には、人の弱さがあるのだろう。

改めて中央のブッダに挨拶をして僕は境内を出た。すると、僕の靴を置いていた所に二人の男の子が座っていた。二人は僕に何かを恵んでほしいという表情と言葉を発した。内心、「靴が盗まれなくてよかった」と安堵しつつ、絵の中の祈る人々とこの子達を重ね合わせていた。この子達にとって、僕は一瞬でも仏のような存在に見えたのだろうか。祈られても、せがまれても、僕は彼らの期待する幸せを与えることはできないと、Noという表情をして、靴をはき、境内を後にした。

 

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せっかくなのでワット・トメイ寺院の敷地内を探索してみよう。入り口周辺は立派だったが、裏側は質素な生活の場が広がっていた。おばあちゃんは洗濯中かな?

 

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共同生活。家族もご近所さんも合わせて洗濯、合わせて外干し。洗濯物がよく乾きそうな太陽の日差しが差し込む。

 

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おそらく修行中の坊主の青年がこちらを見ていた。

 

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坊主達は複数人で1つの小屋が与えられているようだった。

 

食べ物が集まる場には"気"が流れる

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寺院を後にした僕は、シェムリアップの雑貨屋が集まる場を訪れた。道路沿いにお店が連なり、中にもお店が集まっている。

 

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ほしいものとか、必要なものってたくさんあるはずなのに、たくさん置かれると急に何がほしかったのかわからなくなることが多い。

 

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中も様々なお店が並んでいた。色々見て回った結果、ド定番のアンコールワットTシャツ(寝巻き用)と友人へのプレゼント(小物入れ)を購入した。両親が大阪人の影響もあり、値切れるところは必ず値切るようにしている。価格を安くしてほしいというより、値切る際の交渉が楽しかったりするからだ。今回、Tシャツを買ったお店の店員はカンボジア女性だったのだけれど、600円のTシャツで、まずは相手はどこまでいけるのかを調べるために、「半額」と伝えて「No」と言われた。「じゃあいくらまで安くできるの?」と伝えて、「100円」値引きするぐらいだった。結局、交渉を重ねて、半額で購入した。ありがとう。

 

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雑貨屋さんの少し奥に進むと地元の市場が現れた。

 

狭い通路を人が行き交い、店員は食材をさばき、お客は値段交渉をしたりしている。3代欲求の一つ、食欲。人の欲望が集まる場所には自然と"気"のようなエネルギーが流れ、活気が溢れるなといつも感じる。

 

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野菜も果物も、

 

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一個一個が"我こそは"と主張するようにこちらを見ている。色合いが本当に鮮やか。

 

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魚の切り身は、魚の身からできていて、

 

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鶏肉は、鶏の肉からできていて、

 

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豚肉は、豚の肉からできている。

 

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そんな当たり前を日本にいると忘れそうになる。

 

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お母さんが肉をさばく姿を見ながら、僕らが口にする一切れ一切れの食材は、一つの命だったということをちゃんと心に留めておきたい。

 

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お腹が空いたので、食事にすることにした。美味でした。

 

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謎の猿のマスコット。面白いほど恐怖でしかない。

 

さらばカンボジア

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長い長いカンボジアでの冒険もここで終わり。

 

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次は、未開の国"ラオス"のルアンパバーンという街へ向かおう。

 

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アンコールの遺跡群を巡ったり、トゥクトゥクドライバーと飲み会をしたりと、本当に濃密な日々を過ごすことができたと思う。次はいつ来ることができるだろう。発展し続けるカンボジアという国にきっとまた呼ばれることを願いながら、僕は次の国に向かうことにする。

 

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ありがとうカンボジア。また会う日まで。

 

ラオス人民民主共和国とは

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 photo: ラオス - Wikipedia

2国目、2つ目の遺跡、ラオス・ジャール平原。その遺跡を訪れるために僕はこの旅に来た。

まずは、ラオスを少しご説明。

ラオスは、正式名称を"ラオス人民民主共和国"という。位置は、東南アジアのインドシナ半島にあり、中国/ベトナム/カンボジア/タイ/ミャンマーと多くの国と隣接する国だ。日本の本州とほぼ同じ面積だと言われ、その中に700万人ほどの人々が暮らしている。首都はビエンチャン。

ラオスでは文字の文献が多くは残ってはいないことや、考古学上も研究段階であることから、まだまだ謎が多い。ラオスの発展がわかってくるのは14世紀から。元々タイ系の民族であったラーオ族が「ムアン」という政治的な集まりを作ったことから始まった。1353年にファーグム王によりムアンをまとめた"ラーンサーン王国"ができた。中でも僕が訪れたルアンパバーンという街を都に定め、王国の基礎ができ始めた。その後、王国は(現在の首都)"ビエンチャン王国"や"チャンバーサック王国"などに分裂していくが、隣国ベトナムやタイの力に負け、勢力を弱めていった。

19世紀半ば以降、カンボジア・ベトナムを植民地としたフランスによって、ラオスもフランスの植民地となる。しかし、ラオスは経済的な発展がないと見限ったフランスは、植民地としては所有しつつ経費をかけずにした。その為、ラオスは鉄道などのインフラや、教育や医療の導入が遅れている現状がある。第二次世界大戦の影響で、日本軍がインドシナ半島でクーデターを起こした影響もあり、フランスは統治を中断した。と同時に、ラオス国内でも独立を求める運動が起き始める。その後、フランスの再植民地化やアメリカによる自国での内戦もあったが、1975年12月、ようやく王政が廃止され、現在のラオス人民民主共和国ができた。

このような歴史がある影響で、現在でもラオス国内では家計や教育、医療の格差などが続いている。例えば、教育では、基本は小学校の入学年齢は6歳だが、家計の手伝いや近くに学校がない影響などで学校にいけない子もいる。また、一旦入学しても、教師がしっかりとカリキュラムを教えられるレベルではないなどの原因で、留年率も非常に高いという。僕が訪れた時も、学校には行かず、畑仕事や店番などをしている少年少女によく出会った。しかし、ラオスはまだ発展途上国。今後、教育体制が整っていけば、ラオスは益々発展が期待できる国だと思う。

 

心の優しさ溢れるラオス人

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無事ラオスに到着したのは夜。少しの不安を抱えていた僕だったが、入国審査の時にラオス人の心に触れる。

海外旅行に行ったことがある方ならわかると思うが、入国審査は大抵流れ作業で審査員は基本無表情であることが多い。まぁ何百何千という人を対応していれば、感情を込める余裕も理由もなくなってしまうこともよくわかる。けれど、ラオスの入国審査のお兄さんは「日本から来たんだね。ア・リ・ガ。。。?Thank youは日本語でなんて言うだっけ?」「"ありがとう"だよ。」「ア・リ・ガ・ト・ウ」と気さくな笑顔で接してくれたのだ。あんなに気持ちのいい入国審査は初めてだった。

 

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ホテルへ向かおうと到着ゲートを抜けた時、また一つのほっこりする場面に立ち会った。空港のスタッフのお兄さん2人が荷物を運ぶカートに乗りながら遊んでいたのだ(写真右)。まるで子供みたいに無邪気で悪気のない、すがすがしく遊ぶ姿。「なんなんだ、ラオス人!みんないい人なのか?」と、僕は思わず口に出していた。

乗り合いバンの担当のおじさんもすごく笑顔で接してくれ、荷物も進んで持ってくれた。すでに空港でラオス人の温和な感覚を感じつつ、僕はホテルのあるルアンパバーンの街へと向かった。

 

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無事ホテルに着き、チェックインと明日のバスの予約をした僕は、晩御飯を求め、街の散策に繰り出すことにした。道路からしてすごく綺麗な印象。

 

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ルアンパバーンに訪れた際はぜひナイトマーケットへ。行き交う街も人もなんだかとても楽しそうに見える。

 

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ヨーロッパのカフェのような、何ともオシャレな焼き菓子が売られていたり、

 

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絵画もあれば、

 

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蛇や蠍の瓶詰めがあったり、

 

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和を感じるランタンがあったり、

 

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美しい切り絵が売られていたりと、見ているだけで気持ちが楽しくなってくる。

 

 

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せっかくだから何かを買おうと、色々な紅茶を売るお店の少年に話かけた。僕は幾つかをピックアップして、お金を払った。「写真を撮ってもいいかな?」とたずねると快く「どうぞ」と返してくれた。この顔を見ていただければ、きっとラオス人の温和な空気感がわかってもらえると信じている。

 

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こちらも紅茶の出店。入れ物がデザインされていてとてもかわいかった。店番の少女も粋な目をしていた。

 

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そろそろお腹が空いたので、ヨーロッパの街角のような路地のお店に入ることにした。

 

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お店の中もアジアとは思えない雰囲気。昔、ラオスはフランス領だった影響もあり、フランスの文化が自然と取り入れられているのだろう。観光客もアメリカやヨーロッパの顔の人が多かった。

 

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もちろん注文したのは、ラオス産ビール"Beer Lao ビール・ラオ"を頂こう。640mlを頼んだのだが、これで200円もしない。幸せな国だ。いつまでも飲んでいたい。

 

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料理は、ラオスの定番料理"ラープ"を頼むことにした。肉や魚にレモンなどの柑橘系の汁や香草を混ぜて炒めた料理。とうがらしが辛すぎて、舌が痙攣した。その分、ラオビールの進みも早かった。食事で触れる文化もあるなと感じていた。

 

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お腹も満たされたので今日は寝床に戻ることにしよう。ナイトマーケットも終わってゆく。

 

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帰りに立ち寄ったコンビニには、キャップを被ったもじゃもじゃのエビスさんが立っていた。何者だったのだろう。

 

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ラオスのコンビニも大抵の必要な物は売っているので、もしラオスに行かれる方はそんなに心配することもない。

 

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ベッドの真上にある扇風機を見ながら、今日という日を振り返った。

 

わからないこと、知らないことはまだまだたくさんある。

僕がこれだけはやってはいけないと思っているのは、「Googleマップを見て、そこに行った気になり、満足してしまうこと」だ。目的地はあくまで指標でしかない。大切なのは、そこに行くまでにどんな人に出会い、どんな出来事があり、何を考え思うかということだと思っている。目的地に着いた瞬間もサイコーなのだけれど、後で思い返すと、すごく楽しかったと思うのは行くまでの道中だったりする。きっとそれは、道中が一番心が動いているからだと思う。

わからないこと、知らないことはまだまだたくさんある。初めの一歩は、立ち止まっていては辿り着けない方角へと繋がる唯一の一歩だということを、いつだって忘れないでいたい。

 

 

※カンボジア・ラオスの旅 no.8に続く →→→ 執筆中

 

 

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*引用/参考資料

・D22 地球の歩き方 アンコール・ワットとカンボジア 2017~2018(ダイヤモンドビック社/2016年12月)

カンボジア内戦 - Wikipedia

世界史の窓

ポル・ポト - Wikipedia

Tyrants and Dictators - Pol Pot (MILITARY HISTORY DOCUMENTARY) - YouTube

・D23 地球の歩き方 ラオス 2016~2017(ダイヤモンドビック社/2015年11月)

ラオス - Wikipedia

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カンボジア・ラオスの旅 [6] / カンボジア戦争博物館 / 武器を持つ子ども達 × 1歩先に地雷 × 強く笑う明日

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虐殺される知識人

銃を抱える子ども達

平和という言葉を繋ぐ

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※前回の続き

 

カンボジア:争いによる残酷な歴史

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4日目の日が昇った。外は相変わらずの快晴で、でも朝方は冷んやりと肌寒い感覚があった。

日本を発つ数週間前、僕は"地球の歩き方"を見ながら、一つ気になる場所があった。それが「カンボジア戦争博物館」だ。今思えば、なぜ惹かれたのかよく思い出せない。戦争を知っておきたいという安い正義感か、アニメ"ガールズ&パンツァー"を見ていた影響か、それともこの場所に呼ばれた気がしたからか。けれど、僕はここだけは訪れないといけない感覚があった。

「カンボジア戦争博物館」は、インドシナ戦争時や、カンボジア内戦時に使用された戦争兵器や当時の写真などが展示されている。カンボジアの歴史をまずは振り返る。

インドシナ戦争とは・・・

インドシナ半島は、中国の下側にある半島で、現在のベトナム・ラオス・カンボジアに加え、タイやミャンマーの地域を指す。当時フランス領土であった関係でフランスによってその名がついた。1946年、インドシナ半島でフランスとベトナム独立同盟(ベトミン)による争いが始まり、その争いは、ベトナム全土だけでなくカンボジアやラオスにまで広がっていった。一方、当時若干20歳前後の(後に国王となる)ノロドム・シアヌークは武力でフランスに対抗するのは難しいと考え、カンボジア独立運動を立ち上げ、フランスからの脱植民地化を目指し交渉を進めた。その後、1953年に遂にフランスから完全独立を達成し、1954年には、ジュネーヴ協定により和平が成立された。 

 

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 photo: Cambodian Civil War - Wikipedia

カンボジア内戦とは・・・

カンボジアを独立に導いたシアヌークは、市民の信頼も高く、国王となった。しかし、すぐに王位を父親に渡し、カンボジアでの社会主義政策を開始した。当時、1965年頃はベトナムとアメリカによるベトナム戦争が始まった時。シアヌークはベトナム戦争では中立の立場を保っていたが、国内でのベトミンによる活動は黙認していた。その対応が気に入らなかったアメリカは、シアヌークが中国とモスクワに外遊している間に、"ロン=ノル"という男に力を貸した。彼はクーデターを起こし、カンボジアの首相にまで就任した。当然、シアヌークはその動きに反発し、当時カンボジア内に存在した共産主義勢力"クメール=ルージュ"と手を組んで、ロン=ノル政権と対立した。この対立がカンボジア内戦となり、50万人以上のカンボジア人が死亡したという。この内戦は、1991年にパリでカンボジア和平協定が成立するまでの22年間も続いた。

 

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 photo: Tyrants and Dictators - Pol Pot (MILITARY HISTORY DOCUMENTARY) - YouTube

ポル=ポト政権・・・

内戦中の1975年、首相はロン=ノルに変わり、"Pol Pot ポル=ポト"が政権を握った。ポル=ポトは、「原始共産主義」という、狩猟時代のように「得たものはその場で消費する=物を持たない=富を形成しない=階級・位の差が生まれない」という考え方を推奨した。実際に行った行為は残虐で、「知識人(と思われる人も含む)」を根絶するというもの。つまりは、虐殺だ。例えば、「本を読んだ=知識人=虐殺、海外へ行った=他の文化を知っている=知識人=虐殺、手が綺麗=農作業しない=知識人=虐殺」という具合だ。

 

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また、ポル=ポトは、大人ではなく子供を積極的に活用した。13歳以下の子供に、兵士はもちろん、強制収容所の監視員や医者までさせたと言われている。知識のない子供に医療をさせることを想像してほしい。。。恐ろしさしかない。ポル=ポトは以下の指令書を発行している。

ポル=ポトの指令書・・・ 

「我々は独自の世界を建設している。新しい理想郷を建設するのである。したがって伝統的な形をとる学校も、病院も要らない。貨幣も要らない。 たとえ親であっても社会の毒と思えば微笑んで殺せ。今住んでいるのは新しい故郷なのである。我々はこれより過去を切り捨てる。 泣いてはいけない。泣くのは今の生活を嫌がっているからだ。 笑ってはいけない。笑うのは昔の生活を懐かしんでいるからだ。」

亡くなった方は、数百万人に及ぶという。こんな時代が数十年前にカンボジアであったことを覚えておきたい。 

 

カンボジア戦争博物館へ

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そんな様々な歴史を踏まえて、僕は「カンボジア戦争博物館」に訪れた。暇そうなおじさんに入場料の5ドルを支払い、いざ入り口を抜けた。"Welcome"という歓迎を受けて、空間の広さを確認する。生い茂る木々の中に多くの戦車が見受けられる。観光客は指で数えるほどしかいない。奥行きは長く、入り口左側にはミュージアム・ショッップがあり、右側にはヘリコプターも見受けられた。日本に暮らしているせいか、なんだか"博物館"と聞くと、綺麗な建物の中で、指紋のないケースに昔の物が保管されているイメージを持っていたが、なんという青空博物館だろう。

 

※始めに伝えさせて頂くと、僕は戦車やヘリコプターには詳しくありません。以下は、調べたなりにわかった機体の名前を記載していますが、もし間違いがあればお伝えください。詳しい方は教えて頂きたい。

 

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僕はまず右側のヘリコプターを見ることにした。こちらは旧ソ連製の"Mi-24"のヘリコプター。映画ダイハードやアニメこち亀にも使用されている機体だ。奥には戦闘機もあった(名前はわかない)。

 

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Mi-24の後ろから内部を覗くと、当時のそのままの姿があった。

 

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戦闘機のエンジン部を見た。当時、ここから高熱が吐き出されていたのだろう。

 

戦車を間近で感じる

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それでは、 戦車を見ていこう。その前に一言、「道がいい」。

 

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戦争博物館では7割ほどの機体には説明文が添えられている。手書きが味を醸し出している。

始めは、T54(写真奥)。ソ連が作った中戦車で、1979年から1994年まで使用されていた。展示というより、より自然に(そのままに)戦車が置かれているという印象。手で触れ、自分の背丈と比べ、過去を感じることができる。戦車に乗るのはどんな気持ちなんだろうなんて考えていた。

 

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続いても、ソ連が1962年に産み出した"DM.2"。DM2はcan swimという記載があるように、水陸両用車だ。内部を覗くと錆だらけだけれど、構造が少しわかる。

 

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こちらはDCA 23mm、通称ZU-23。対空機関砲で、23mm口径の機関砲を発射する。戦車の上に取り付けていたパターンが多いという。

 

小型銃の軽さと重み

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戦争博物館では、実際に使用されていた小型銃や爆弾を手に持つことができる。もちろん今はもう使えないようになっているからご安心を。持ってみると意外に軽くて驚いた。気持ちが高揚する一方で、すぐ後に怖さが体を揺すった。

 

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腹ばいになりながら撃っていたのだろう。

 

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13歳以下の子供たちは、どんな気持ちで銃の引き金を引いていたのだろう。

 

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投下爆弾も持つことができる。一つ持つのも少し大変な重さ。もしこれが実際に爆発する本物であったらと考えると、戦争時の緊張感というのは常軌を逸していると感じた。

 

 

地雷がある、次の一歩はどこを踏む?

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地雷。それは地中に埋められ、人や機体が上に乗ると起爆する兵器。人の足を奪い、腕を奪い、人生を変える兵器。その恐ろしさや空気を感じることができた。

 

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展示されている地雷。

 

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その威力は地面を吹き飛ばす。あまりの穴の広さに恐怖しかなかった。

 

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地雷の危険がある場所には「Danger!! Mines!!」という警告板が置かれていた。

 

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例えば、この看板が無くて、普通に道を歩いていて、次の一歩先に地雷が埋まっているとしたら。僕らは自分の足を進めることができるだろうか。

 

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地雷探知機を使用する人の模型。命をかけた仕事。 

 

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地雷の被害を受けた人々。同情するのも違う、悲しむのも憐れむのも違う。ただ、そういった事実があったことを心に止めないといけない。そして、次に繋げないようにしていかないといけない。

 

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足がない。腕がない。それでもなぜ彼らは笑えるのだろう。本人は恨みを感じても、その気持ちをどこにぶつけていいかわからないはず。人を恨んでも、足や手が返ってくるわけではない。それでも彼らは笑い、努力し、"普通"という生活を生きていく。

 

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強さというのは、内面から出てくるものだと痛感する。喜びも悲しみも理解し、自分の中の決意が固まると、それは強さとなり表情に表れていく。ちびまる子ちゃんのTシャツを着る少年の顔を僕は忘れることができない。

 

言葉なしで

最後に幾つかの写真を言葉なしに載せたい。 

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「平和」という言葉

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なぜ「平和」という言葉があるかと考えると、「虐殺」や「戦争」という逆の黒い言葉があったからだと感じる。「どうにかひどい世界ではないでほしい」という願いや希望を込めて、世の中にはポジティブな言葉があるのではないだろうか。「人生は楽しんだ者勝ちだ」と誰かが言っていた。それは、どんなにひどいことをされても、理不尽だと思う世の中でも、明日を思い強く笑った者のことを指すのだと思う。年月が経っても、人は次の世代へと繋がっていく。次の世代が笑える世の中を僕らは作っていくべきなのだと、小さな正義感を振りかざして、僕はカンボジア戦争博物館を後にした。

 

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※冒頭でも書いたように、戦争博物館にはミュージアム・ショップもある。"Danger!! Mines!!"のカードをたくさん買って、至る所に置くようなおフザケは、絶対にやってはいけないぞ!!

 

 

※カンボジア・ラオスの旅 no.7に続く →→→

 

 

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*引用/参考資料

・D22 地球の歩き方 アンコール・ワットとカンボジア 2017~2018(ダイヤモンドビック社/2016年12月)

カンボジア - Wikipedia

カンボジアの歴史 - Wikipedia

戦争博物館 口コミ・写真・地図・情報 - トリップアドバイザー

カンボジア内戦 - Wikipedia

世界史の窓

ポル・ポト - Wikipedia

Tyrants and Dictators - Pol Pot (MILITARY HISTORY DOCUMENTARY) - YouTube

Mi-24 (航空機) - Wikipedia

T-54 - Wikipedia

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ZU-23-2 - Wikipedia

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カンボジア・ラオスの旅 [5] / カンボジア最後の遺跡と最後の晩餐 / 一瞬の出会い × 異国の音楽 × チョルモイ!!

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交差点のような出会い

寺院と音楽

カンボジアのキャバクラ

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※前回の続き


出会いと別れの"プリア・カン"

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カンボジアに来て3日目。カンボジアの空気にも馴れ初めてきた。3日目の予定は、昨日行けなかった遺跡を、昨日よりも"ゆっくり" "じっくり" 回ることだった。それは決して昨日までを適当に見ていたという意味ではなく、「感じる」という気持ちを大切にしたいという思いからだった。

まず初めにアンコール・トムの奥にある"Preah Khan プリア・カン"に訪れた。名は「聖なる剣」を意味し、ジャヤヴァルマン七世がチャンパ軍に勝利した記念として建設され、父ダラーニインドラの菩提寺(ぼだいじ)とされている。範囲は非常に広く、室内でないオープンな通路が数多くあり、ギリシア神殿のような2階建ての建物があることも特徴だ。昔は、仏教の教養を学ぶ場でもあった。

 

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入り口を過ぎると各国の説明文があった。日本語もあった。

  

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長い通路の途中には、絵を描く男性がいた。絵を描き続け生計を立てているようだ。

 

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入り口は他の寺院と同様に尊厳のある姿をしていた。

 

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中はいくつか崩れている箇所が見受けられる。

 

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デバターも立体的。綺麗に残っていた。

 

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少し中を歩いていると、片側の出口に出た。首なしは人の想像を活性化させると思う。

 

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太陽の下、見上げた緑は輝いて見えた。

 

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昨日の"タ・プローム"同様、木々が遺跡と一つになっていた。

 

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2階建ての建物は、(行ったことはないが)ギリシアを感じさせた。なかなか伝わりづらいかもしれないが、キン肉マンのロビンマスクがいそうな気がした。

 

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改めて言うが、首なしは人の想像を掻き立てる。

 

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時間が来たので、アンさんとの約束の場所に行こうと中央の通路を歩いていた時。僕は一人の女性とすれ違った。

僕がバンコクからカンボジアに来る飛行機の中でのこと。その飛行機は、中央の列の両側が3人席になっている仕様だった。僕はその左側の3人席の中央だった。僕の右側は日本人の女性、左側は中国人風の女性。僕は3人席の中央だったけれど、小柄な二人だったので楽に座れてよかったな、程度に思っていた。右の日本人女性は通路を挟んだ反対側に座る友人と来ているようだ。終始楽しく話していた。少し日本人女性と話をしたら、卒業旅行で来ているという学生なんだという。二人でアジアを回っているらしい。最終的に「楽しみましょう」と会話をして話を終えた。

そうして数時間、飛行機はカンボジアへ近づいた。乗客は入国審査に必要な用紙を記入し始めた。僕もカバンからペンを取り出して、「地球の歩き方」を少し確認しつつ、一つずつ事項を埋めていった。ホッと書き終えた瞬間だった。左側から「ペンを貸してくれませんか?」という綺麗な日本語が飛んできた。先ほどの中国人風の女性だった。「いいですよ。」と僕は答え、ペンを差し出した。彼女はすらすらと用紙を書き終えると、「ありがとうございます。」とペンを僕に返してくれた。おもわず「なんでそんなに日本語がうまいんですか?」と質問した。話を聞くと、彼女は横浜国立大学に中国から留学しているという。それから、建築関係を学んでいること、日本の大学で日本人に未だに慣れないこと、中国の生まれた場所などを教えてくれた。その代わりと言ってはなんだけれど、僕も受験で横浜国立大学に落ちたこと、土木関係を学んでいたこと、中国は上海に行った事があることなどの話を返した。でも、僕は不思議な感覚を感じていた。自分のことを彼女に話しているようで、僕は僕に向かって話をしているようだったからだ。今までの僕はどう生きてきたか、どんな失敗や学びを得てきたか、なぜ自分は今カンボジアに向かっているのかなど、一つ一つを確かめるみたいに。

そんな中国人の彼女と僕は、カンボジアのプリア・カンという同じ遺跡で、同じ時間、同じ場所ですれ違った。正確には、僕が気がついただけで、彼女は気がついていなかった。ふっと声をかければ、何か世界が広がったかもしれない。けれど僕は声を送りはしなかった。こういう出会いもあるんじゃないかと感じていたからだ。

全ての出会いがずっと続いていくわけではない。交差点を渡るように、長い道のりの中で、同じ時間、同じ交差点をすれ違うだけの出会いもある。彼女は、様々な出会いがあるということを教えてくれたのかもしれない。今も彼女は勉強をがんばっているだろうか。

 

"ニャック・ポアン"で音楽とともに 

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"Neak Pean ニャック・ポアン"は、水面に浮かぶように水に囲まれた寺院だ。クメールの農耕文化を象徴しているという。行く通路はすごく細く、両サイドは水・水・水だった。

 

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例えば世界が終わったら、世の中はこんな感じになるのだろうか。

 

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でもなぜだか気持ちがすごく落ち着いた。水は人の気持ちを落ち着かせてくれるみたいだ。

 

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細い通路をまっすぐ進むと場所が開けた。ニャック・ポアンには4面に「象・人・ライオン・馬」の頭部の石像が埋まっている。暗くて見えないが中央の暗い穴の部分には、象の頭部が埋まっている。ぜひ見てみたかった。

 

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中央には円形祠堂。よく見るとナーガが巻き付いていてかわいい。

 

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ニャック・ポアンの入り口には何店舗が出店が並んでいた。奇妙な人形が仲間になりたそうにこちらを見ていたので、写真だけ撮ってあげた。

 

  movie: monokann: Music in Neak Pean of Cambodia - YouTube

カンボジアに来てから、訪れる寺院の3箇所に1つには、音楽バンドがいた

使っているのはカンボジアでは伝統的な楽器。 馬尾の弓で演奏する弦楽器"トロー・チュー(胡弓)"。元々はタイの楽器で、昔は鰐(ワニ)の形をしていた弦楽器"ターケー(鰐琴)"。掌で音を鳴らす打楽器"スコー(太鼓)。日本でもたまに見かける楽器を使って、みんな無表情で演奏し続けていた(笑)。 目的は様々なようで、洪水の寄付だったり、小遣い稼ぎだったり。けれど、やはり音楽があるだけで寺院全体が柔らかく見えるのだから、音楽のありがたみを深く感じた。異国でもそれは変わりはしない。

 

空飛ぶ樹"タ・ソム"

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続いて元々僧院だったという"Ta Som タ・ソム"へ。新緑の木々の中に神々しい入り口(西門)があった。

 

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非営利組織"WORLD MONUMENTS FUND ワールド・モニュメント財団"の案内板もあった。タ・ソムはWMFのカンボジアスタッフによって最初に活動が行われた場所なのだ記載がある。

 

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ちゃんと自分の写真も撮っておこう。

 

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中は回るのにはほどよい広さ。数カ所に渡り石崩れが多く見られた。

 

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内側も精巧に積み上げられていた。

 

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タ・ソムの一押しはこの東門だ。裏側の緑を僕は見に来た。

 

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東門の入り口を駆逐するほどに根によって包まれている。ラピュタのように、このまま空に飛んで行ってしまいそうだ。

 

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「緑を感じる」。そんな自然なことを忘れかけていた気がした。誰かが言っていた、「旅は何かを見つけるためにするのではない、新しい視点を探すためにするのだ。」と。僕はその言葉に加えたい。「当たり前を思い出すためなのだ。」と

 

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タ・ソムの出店。

 

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オレンジの坊主たちが映える絵たち。こんな優しい絵を描いてみたい。

 

東メボン〜プレ・ループの宮殿

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四隅の象が特徴の"East Mebon 東メボン"は、ラージェンドラヴァルマン二世によって建設された。これら象が何を意味しているのか、意味していないのか。

 

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青空の中に聳える宮殿には、重い扉があり、大切な何かを守っているようだった。けれど、これは偽扉だという話がある。

 

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青と赤茶色はすごく映えることを知った。

 

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幾つかは無残にも崩れているものもあった。物はいつか壊れていく。

 

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近くのプレ・ループに向かう途中、地元民がバレーボールに勤しんでいた。上裸の姿が熱気を感じさせた。

 

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続いて"Pre Rup プレ・ループ"。東メボンと同じ作りながら、階層が高く、威厳を感じさせた。プレ・ループでは死者を荼毘(だび=火葬)していた場所が残っている。

 

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寺院は崩れた部分が多いが、敷地は広く、階層がしっかりと感じられる。

 

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上では権力者が、下には庶民が活動していたのだろうか。昔から、位の差というのはあったのだと実感した。

 

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足だけのやつ。

 

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待ち合わせ場所に向かうと、アンさんはスヤスヤ眠っていた。アンさんに聞くと、「Hatto-riは見る時間がすごく長いね。他の人はすぐ帰ってくるのに、Hatto-riはなかなか来ない。すごくよく見ているんだね。」なんてことを言っていた。一つ一つを六感まで含めてしっかりと感じたいという気持ちがある。

 

最後の遺跡"バンテアイ・サムレ"

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この旅において、カンボジアでの最後の遺跡。「サムレ族の砦」という意味を持つ"Banteay Samre バンテアイ・サムレ"を訪れた。入り口正面は水場が広がっていた。僕は栄養補給のために、コカコーラ社のスプライトを飲んだ。喉への痺れと刺激を与えたい時は、大抵スプライトに頼ってしまう。世界共通の味だ。

 

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最後の入り口。

 

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入り口を入るとすぐに声をかけられた。「これ買わない?」。(無視して進もう。)

 

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「上智大学アンコール遺跡国際調査団」の案内板。大学時代にこんな研究をしていたら、楽しかっただろうなと羨ましくなった。

 

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東塔門の入り口は少し味気ない。けれど、人が少ないせいか、すごく穏やかな時間を感じた。

 

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寺院内で、座る老人。

 

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石一つ一つに年月の経過を感じる。

 

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最後のデバターも不敵に笑っているように見えた。「また来なさい」と言ってくれていればうれしい。

 

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座ってこの場所を感じていた。この場所に来た意味や、これからこの気持ちをどうするかも含めて。

 

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「バイバイ、アンコール遺跡群。僕も僕の時間を過ごしていくよ。老いるかもしれないけれど、歳取ることを楽しみながら。」

 

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最後に、「道がいい」。

 

カンボジア最後の晩餐

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アンさんは、初日と同様に晩御飯に誘ってくれた。今回は初めから弟くんも参加だ。僕らは杯を交わしてカンボジアビールを飲み始めた。相変わらず弟くんはよく喋り、よく笑う。

飲み始めて30分ほどしたら、アンさんが電話をかけ始めた。すると数分後、一人の男の人が参戦した。彼はこの店の店長だといい、アンさんとは古くの友人だという。僕らは4人でまた飲み始めた。

 

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弟くんが教えてくれたのだけれど、カンボジアビールは瓶の栓の裏に文字が書かれている。これはカンボジアビールを作る"Khmer Brewery クメールブルワリー" がやっている懸賞なのだという。もし当たりが出たら、高額商品が当たるらしい。テレビとかIphoneとか当たるみたいなことを言っていたこういう日常に楽しみが含まれていることは素晴らしいことだなと感じていた。

 

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先ほどの店長は2杯ほど飲んだら部屋を去っていった。赤い服を来た従業員のお姉さん達が新しいビールを出してくれた。と思っていると、奥の方で黒い服を来たお姉さん方が列を成していた。すると、その内の3人の女性がこちらの空間に向かってくるではないか。「どういうこと?どういうこと?」と困惑している僕に、2人は満面の笑みで笑っている。どうやら今日のお店はお姉さんが付くお店なのだという。「はめられた?・・・」と感じたけれど、僕は冷静に楽しく飲んだ。

僕の隣に来たお姉さんはわりと日本人顏のかわいらしい方だった。けれど、彼女は日本語も英語もわからない。僕はクメール語がわからない。アンさんと弟くんからのパスを受けるのがやっとだった。酒が入った彼らは後半は終始下ネタばかり言っていた。(下ネタは世界共通のようだ。)クメール語で乾杯は「チョルモイ!」という。しかし、少し発音を変え「チョンモイ」というと、ここでは言えない下ネタとなってしまうという。彼らは僕にその2つを交互に言わせては爆笑して、かなり上機嫌だった(笑)。

明日も旅が続くので、お会計を頼んだ。どれだけの額になったのか、日本なら1万は軽く超えるだろう。レシートがアンさんに渡され、僕も値段を見た。なんと約12万リエル(3,000円)ほど!これだけ飲み食いして、女の子も付いて、なんて破格の値段。カンボジア価格だ。じゃあ、「僕は4万リエル(1,000円)でいいね」とお金を出そうと思った矢先、アンさんが「Hatto-riは、10万リエル(2,400円)だ。」という。「こいつらは何を言ってるのか?」と頭にはてなが浮かんだ。明らかに僕よりもかなりペースも速く飲みまくっていたのに、彼らは2人で600円ほどしか払わない気だというのだ。「なんてやつらだ。最後にタダ飯食おうとしてきたな!」と思い、彼らにツッこんだ。すると、アンさんは「今、2人で4万リエルしかないんだよ。」と財布を全開で見せてきた。僕は口論をするのも面倒になり、2,000円ぐらいならいいかと払ってあげることにした。

カンボジアの物価と、日本の物価は違う。だから、僕らの高々1円も彼らにとっては大金になり得る世界があるのだ。居酒屋に行ったら一人3,000〜5,000円払うのが普通という、日本の法則に縛られている自分に気がついた。ここは、別の国、カンボジアなのだ。

 

https://www.instagram.com/p/BCA66OLKIUf/

とまあ、色々あったが、僕らが楽しくお酒を飲めたことに変わりはない。カンボジアの地元民の気持ちを少しでも教えてくれた彼ら2人に感謝したい。「オークン(ありがとう)」。カンボジア最後の晩餐は、楽しい思い出と共に終わりを迎えた。

 

正しいこととはなんだろう。間違っていることとはなんだろう。今、あなたがもつ常識は、どこか別の世界では非常識かもしれない。いい・悪い。安い・高い。おもしろい・おもしろくない。対となる言葉を決めつけているのはあくまで自分で、誰かにとってはそれは真逆の意味を持つかもしれない。「常識を疑え」。その頭が柔軟になった先に、また新しい自分が見えるのではないかと感じている。

 

 

※カンボジア・ラオスの旅 no.6に続く →→→

 

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*引用/参考資料

・D22 地球の歩き方 アンコール・ワットとカンボジア 2017~2018(ダイヤモンドビック社/2016年12月)

カンボジア - Wikipedia

カンボジアの歴史 - Wikipedia

アンコール・ワット - Wikipedia

Angkor Wat - Wikipedia

Angkor - UNESCO World Heritage Centre

http://www.khmerbrewery.com/

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*related

 

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カンボジア・ラオスの旅 [4] / アンコール・トム & タ・プロームを歩く / 瞬間を残す優しさ × 当たり前の音が聞こえる × 圧倒的自然

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四面仏頭"バイヨン"の存在感

ロングヘア女性の優しさ

圧倒的な木々のエネルギー 

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※前回の続き


アンコール・トムとは 

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 photo: Google マップ

「Angkor Thom アンコール・トム」は、アンコール・ワットから半世紀後に、"クメールの覇者"と呼ばれるジャヤヴァルマン7世によって造営された。12世紀後半、アンコールの王都はベトナムのチャンパ族により一時的に陥落していた。そこで、国土と人心をまとめなおすために、王は仏教をシンボルにした堅固な要塞を築くことを決め造営に至ったという。

"Angkorアンコール"はサンスクリット語で"王都"を指し、"Thomトム"はクメール語で"大きい"を指す。王都は、一辺3km、高さ8mの城壁で囲まれている。上の写真を見てもらうと、アンコール・ワットよりもかなり大きいことがわかるだろう。その入り口は、「南大門、北大門、西大門、死者の門、勝利の門」と5つある。アンコール・トムの中心には、四面仏頭が並ぶ「Bayon バイヨン寺院」がそびえ、他にも様々な寺院が点在している。

 

しばし休憩

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時刻は13時半ごろ。迷宮のラビリンス、アンコール・トムの空間に入り込んだ僕は、しばしのお昼休憩を取った。アンさんに連れられて到着したのはアンコール・トム内で食事処や土産屋が並ぶエリア。その中の一つのお店で腰を下ろした。ここには様々な観光客がおり、ちらほらと日本人も見受けられる。笑い声、疲れ顔、計画を練る真剣な眼差し。様々な思いが交差している感覚があった。

 

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注文したのは、RiceとBeefと記載があったメニュー(実際の商品名はよくわからない)と、アンコールビア。口の中が若干の砂感を感じつつ一時のエネルギー補給に徹した。

 

存在感際立つ四面仏頭"バイヨン寺院"

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アンコール・トムの中心地に位置する「Bayon バイヨン寺院」。バイヨンは、メール山(神々が住み降臨する聖域)を象徴していると言われている。特徴的なのは、四面ある巨大な仏の顔だ。この四面仏頭は全部で54個あり、見る者を圧倒する強烈な存在感がありながら、どこか落ち着く雰囲気がある。

バイヨンに立ち入った瞬間、僕は一人のカンボジア男に話しかけられた。随分流暢な日本語。「日本から来たの?」無視しようかと思ったのだけれど、面白そうだから話を聞いてみた。「バイヨンを見るならいい眺めのところを教えてあげるよ。少し急だから気をつけな。」男は、バイヨンを入ってすぐ左の場所へ僕を案内した。かなり急な階段。僕らは足をひざぐらいまで上げて登っていった。「ほらどうだい?すごいいい景色だろ?」「うわすごいな〜」カシャ!(それが上の写真)。「なんでそんなに日本語がうまいんですか?」「日本が好きで日本語を勉強したんだ。それに、昔日本の会社がバイヨンで工事?をしてくれて、感謝?しているよ。」「そうなんだ。」

 

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カメラを取る用事を済ませた男と僕は、ゆっくりと下へ降りていった。降りると男は手を差し出した。チップを求めているようだ。こういう時、僕は大抵「君が勝手に案内しただけだろ?僕は頼んではいない。」というスタンスでいる。曇り顏の彼を尻目に僕はバイヨン内に入っていった。

 

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中には中心を囲むように回廊がある。とても綺麗な姿に感慨深い気持ちになった。昔、ドラクエをやっていた時のように、冒険をするワクワク感を感じていた。

 

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回廊を歩いていると急に穏やかな顔が現れる。

 

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さらに中へ入っていくと、入り組んだダンジョンのようになっていた。

 

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都度都度、神様を讃える空間があったりもする。

 

 

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少し中の方にいくと、先ほどのお顔を間近で拝めることができる。

 

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圧倒的な存在感。どういう感覚を持てば、これを作ろうという発想にいたれるのだろう。

 

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バイヨンの反対側へいくと、瓦礫の山があった。おそらく今あるデータの中で当時の空気を想像しながら、一つずつ復元させていくのだろう。とっても素敵な仕事だと思う。

 

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アンさんとは2時間後に先ほどの食事をした場所で落ち合うことにしていたので、少し駆け足で巡ることにした。見る箇所はたくさんある。いそごう。

 

ウキウキのパプーオン

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続いて「パプーオン」と呼ばれる場所へ向かう。

女性がウキウキな感じのタイミングでシャッターを切った。彼女はどうしてカンボジアへ訪れたのだろう。

 

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「Baphuon パプーオン」は、3層からなるピラミッド形の寺院で、当時はバイヨンよりも高かったという。しかし、残念ながら現在は倒壊し、その高さはない。「空中参道」と呼ばれる200mの廊下を歩いた先に、中央祠堂が待ち構える。

空中参道の場所で、ちょうどヨーロッパ系の女学生らしき子達とタイミングが重なった。友達同士、楽しそうに会話をして廊下を歩いていく。

 

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積み重ねた作りに圧倒される。約60年に及ぶ修復工事は終了し、現在は全てを見ることができる。てっぺんには神殿らしきものもある。

 

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あの枠組みの先には、こことは違う時空へ行けそうな力を感じる。

 

その瞬間を残す親切を受けた"ピミアナカス"

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続いて、「ピミアナカス」へ向かう。

カンボジアは観光スポットになっていない場所にも何かしらの遺跡の痕跡がある。きっと今わかっていること以上の歴史や人が詰まっていたことだろう。そうやって歴史を好きになってきた、最近。

 

 

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「Phimeanakas ピミアナカス」、ただしくは"ピミアン・アカーハ"といい、「天下の宮殿」を意味する。赤いピラミッド構造が特徴で、当時は、王族の儀式の場として使用されていたという。

ピミアナカスでも一枚。この時ヨーロッパのロングヘア女性に写真を頼んだのだけれど、写真の左側に写っている女性が僕の写真撮影に気づかず、ずっと自撮り棒で写真を撮り続けていた。ロングヘア女性は、写真を撮っても撮っても、僕一人ではなく、彼女が写ってしまうことを気遣ってくれた。4枚ほどチャレンジしても一向に自撮り女性はこちら側に気づかない。「僕は別に大丈夫だよ。」と声をかけたのだけれど、ロングヘア女性は優しかった。「Hey!! He---y!! Okey??」と大きな声で自撮り女性を誘導してくれたのだ。アジアの男が一人でカンボジアにいることの思い出をしっかりと残そうとしてくれるロングヘア女性。一瞬、一時を残す大切さを知っているような優しさだった。

 

ライ王のテラス〜像のテラス

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駆け足の見学は続く。ここは「Leperking Terrace ライ王のテラス」。こちらも12世紀後半に創建された歴史がある場所だ。外部と内部通路には壁一面にレリーフが描かれた不思議な空気が流れている。

 

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僕は疑問に感じていた。これだけの物を作るには多くの人が作業に関わっていたはず。そうすれば計画通りの絵ではなく、個人が信じる絵を遊びで掘ってしまう人もいたのではないかと。(日本のサラリーマンみたいに従順に働いていた人ばかりではないはず。。。)そういった人それぞれの"混ざり"がこれら彫り物の狂気的なエネルギーを発しさせているのではないだろうか。人は歴史を作るが、人が歴史を複雑にわからなくさせているのではと考えたりしていた。

 

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もしここで野宿をしたら、どんな夢を見るのだろう。

 

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石の積み重なりに対して、それぞれの切れ目が異なる。これは、掘ってから重ねたのではなく、重ねてから掘ったとういうことがよくわかる。

 

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像のテラスにもやってきた。「Elephant Terrace 像のテラス」は、ライ王のテラスと同じように壁一面にレリーフが彫られている。長さは約300m程あり、勝利の門の正面に位置する。当時、戦いから凱旋した兵士達を迎え入れる場所であったと言われる。

 

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階段の入り口は、像の形をしてユーモアたっぷり。

 

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像のテラスの壁一面には様々なレリーフが描かれている。

 

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像のテラスの中央へ。勝利の気持ちとともに。

 

 movie: monokann: Walking around Angkor Thom and more - YouTube

どんな場所でも、人がいて、時間は流れていく。 僕はここの景色を忘れることができない。

 

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像のテラスと道路を挟んで反対側にある「Khleang クリアン」。クリアンは勝利の門を挟むように北と南にそびえ立つ。中は修復が続いている跡が残っていた。

ここの見学を終えると遠くから僕を呼ぶ声が聞こえた。「Hatto-ri!! Hatto-ri!!」、アンさんだ。どうやら気づけば移動の時間が近づいていたらしい。

 

当たり前の音を聞いた"チャウ・サイ・テボーダ"

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トゥクトゥクに乗り、アンコール・トムを抜け出した僕らは、次に周辺の寺院へと向かった。まずは、「Thommanon トマノン」と「Chau Say Tevoda チャウ・サイ・テボーダ」。二つは道を挟んで反対側にあり、ほぼ同時期に造られた。

 

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トマノンをさらっと見た後、反対側の「チャウ・サイ・テボーダ」へ向かった。そこで、僕はなんだかここで一度立ち止まったほうがいい感覚があったので、腰を下ろしゆっくりと時間を感じることにした。そして、気づけば10分ほど目を瞑り夢の中に入っていった。こんなに風の音や鳥の声を落ち着いて聞いたのはいつぶりだろう。誰かに優しくするためにはまず自分に余裕がなければいけない。その余裕があれば、聞こえなかった当たり前の音が当たり前に聞こえてくる。僕はここでそんなことを思い出させてもらった。

 

自然の偉大さを感じる"タ・プローム"

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この日、最後に訪れた場所「Ta Prohm タ・プローム」。ここは、アンジェリーナ・ジョリー主演映画「トゥームレイダー」の撮影でも使われた場所だ。元々は、ジャヤヴァルマン7世が母親のために造ったと言われている。敷地は広大で、東西1000m、南北700mの広さがあり、その中には遺跡と今尚成長する榕樹"スポアン"が見る者を待ち構える。

 

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入り口からしばらく歩くと場所が開けた。ここはまだ導入部分だというかのように、遺跡の先の木々たちがモンスターのようにこちらを見ているようだった。

 

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中を散策する前に、僕は周りを歩き回った。散乱する瓦礫たち。

 

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少し中に入ると、カンボジアに来てからもっとも神秘的な時間を感じていた。

 

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中は瓦礫があったり、行き止まりだったり、工事用品があったりと様々。

 

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明らかに木々の根が末恐ろしい大きさをしている。遺跡を食ってしまうような、巨大なイカにも見えたりもした。

 

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タ・プルームの中で最も立ち止まり、大好きになった場所。

 

 movie: monokann: Ta Prohm in Cambodia - YouTube

不思議とゲーム"ロマンシング・サガ"の世界に入ったような感覚がした。兄と一緒にやっていたから、その懐かしさを感じていたのかもしれない。

 

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木々は表に出ている部分よりも根のほうが長いという話を聞いたことがある。しかし、ここの木々たちは、根の部分も包み隠さす表に出して主張していた。根は色々な道を選んでいることを知った。

 

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人間は自然に比べたらちっぽけな存在だ。けれど、人間が作った遺跡郡は時間をかけて自然と同化し、一つの作品になっている。遺跡の中にも根っこが入り込んだような、この空間すべてがエネルギーに包まれている感覚があった。

 

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自然に敬意を。

 

アプサラの踊りと共に振り返る

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歩き疲れた夜は、一人ゆっくりビールを飲みながら、クメール文化の象徴「アプサラの踊り」と、昔結婚式の際に踊っていたという「ココナッツ・ダンス」を鑑賞していた。

 

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一息ついて次の日に備えようと思った。まだカンボジアで見ていない景色があるはずだから。

 

「好奇心」は行動の原動力だ。どれだけ疲れていても、歩き始めたらそんな疲れは消えて知りたいことがどんどん溢れ出てくる。誰もが子供の時に使っていた「なんで?」という口癖は、大人になると「まぁいっか」に変わってしまい、続きを知ることをやめてしまう。無理矢理にでも使ってみよう。世の中には「なんで?」が溢れている。

 

 

※カンボジア・ラオスの旅 no.5に続く →→→ 

 

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*引用/参考資料

・D22 地球の歩き方 アンコール・ワットとカンボジア 2017~2018(ダイヤモンドビック社/2016年12月)

カンボジア - Wikipedia

カンボジアの歴史 - Wikipedia

アンコール・ワット - Wikipedia

Angkor Wat - Wikipedia

Angkor - UNESCO World Heritage Centre

アンコール・トム - Wikipedia

チャム族 - Wikipedia

タ・プローム - Wikipedia

トゥームレイダーの撮影場所 - タ プロームの口コミ - トリップアドバイザー

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*related

 

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カンボジア・ラオスの旅 [3] / レリーフに込められた神話 / アンコール・ワット周辺を歩く × 道がいい

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壁画に込められた絵の強さ

それぞれの日常

道がいい

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※前回の続き

 

レリーフの躍動感

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前回、アンコール・ワット紹介の中で書いたこと。

見学の際に、建築で特に注目したいのは、壁画だ。少し敷地内を歩けば、女神を意味する"デバター像"が壁に描かれており、一つ一つ表情も服装も異なるため、丹念に掘られ描かれていったことがわかる。また、"レリーフ"と呼ばれる浮き彫りの彫刻も注目だ。ヒンドゥー教などに代々伝わる物語や経典を題材に、壁一面に彫られており、見るものを圧倒する強さがある。

 

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レリーフは、アンコール・ワットの外周を囲む"第一回廊"に描かれている。例えば、入ってすぐの左右に広がる西面には、インド古代の叙事詩「ラーマーヤナ」の1場面があり、その反対側には同じくインド古代の叙事詩「マハーバーラタ」の1場面がある。他にも、ヒンドゥー教の経典「バガヴァット・ギーター」、ヒンドゥー教の神"クリシュナ神"の物語「ハリヴァンシャ」などがある。また、南面には創建者スールヤヴァルマン二世の行軍が描かれるなど、アンコール・ワットを象徴する描写もある。

 

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 photo: Ramayana - Wikipedia

「Ramayanaラーマーヤナ」の物語は、現代の世の中でも、カンボジアの芸のパフォーマンスとして幅広く行われているので、行った際はチェックしたい。

[ラーマーヤナの物語] ※地球の歩き方より

昔、コーサラ国の王位を追われたラーマ王子は、妻のシータ姫と弟とともに森林で隠棲していた。以前からシータ姫を手に入れようと狙っていた魔王ラーヴァナは、シータ姫をさらい監禁してしまう。ラーマ王子はシータ姫を救出に向かうが、途中でサルの王スグリーヴァに会い、スグリーヴァが妻を兄に奪われてしまったことを聞く。境遇が似ていることに同情したラーマ王子はスグリーヴァに加勢し、スグリーヴァの兄を討ち滅ぼした。恩返しにスグリーヴァはラーマ王子に協力を約束し、サル軍を率いてラーヴァナの住むランカー等へ攻め込んだ。戦いは壮絶を極めたが、サル軍の将ハヌマーンの活躍や、神鳥ガルーダの助けによりラーヴァナを打ち滅ぼした。しかし、シータ姫の貞操を疑うラーマ王子を見て、シータ姫は悲しみ、火に飛び込んでしまう。火神はシータ姫の貞操を証明し、もとの美しい姿で助け出した。妻を取り戻したラーマ王子は国に戻り、王位に就いた。

 

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レリーフが興味深いのはその描き方だ。レリーフは一つの縦軸に"近景""中景""遠景"の3段階に分割され情景が描かれている。日常生活で見る"遠近法"とは異なるため、人と人との距離感や場面転換など、現実世界とは違う時間が流れているように感じる。

 

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よく見ると、レリーフの表面は擦り減ってきている。それもまた時の経過の仕業だろう。味わい深い。

 

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サルの将"ハヌマーン"は、西遊記の孫悟空のモチーフとも言われているようだ。以前、「#床か壁か」という概念を思いついて現在もInstagramで継続して実施している(みなさんもぜひやってほしい)。もしかしたら、こういったレリーフを見て、「壁とはなにか?」という疑問が"#床か壁か"に繋がっているのかもしれない。吸収したことはどうやって自分の中で消化されるかは本当にわからない。

 

アンコール・ワット周辺を歩く

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アンコール・ワットを堪能した僕はやりたいことがあった。それは、周辺を歩き探検することだ。"観光スポット"という物はなぜかその場所へ行ったということだけで満足してしまう人が多いように感じている。けれど、よく言う"せっかく来た"のだから、ガイドブックにもインターネットにも載っていない部分を探検しようではないか。きっとそこには大切なことを感じるチャンスがあるのではないかと考えている。

ということで僕はアンコールワットの中心部から離れ、辺りを歩き始めた。

 

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まずは食堂やみやげ物屋エリア。先ほどまで、遺跡や壁画をずっと見ていたので、久しぶりに色のある場所に来たように感じて少々驚きを隠せなかった。それに加え、この通りを歩けば、現地のおばさまや手伝いの娘さんに声をかけられる。「オニイサン!オニイサン!ニッポンジン?ニッポンジン?コレカッテイッテ!」といった大阪のおばちゃんよりも強引ではないかと思うほど、強気なカタコト日本語で誘いこんでくる。僕は、時には聞こえないフリをして、時にはわざと誘いに乗ったりしていた。

 

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アジアへ来ると必ず観光地の絵を描いて売っているお店がたくさんある。神を描いて商売をする。神はみんなの物であり、平等だからこそ利用してもよい存在だということだろうか?

 

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少しみやげ物屋の裏手に行くと、何ともシュールなおじいさんが飾られていたりする。これは仏壇だろうか。

 

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こちらは少し新し目。頭にソフトクリームが乗っていた。もし命があったら、何を考えているのだろう。

 

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ミニ獅子"シンハ"と、ミニ蛇神"ナーガ"と、ゾウ。かわゆい。

 

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カンボジアのお墓もあった。日本と形は違えど、小さな扉を開き骨を入れることを同じなようだ。どの国でも死者への尊敬は行われていた。

 

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フォルムがすごく美しい。

 

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上側に神々しい絵が描かれた建物。

 

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タバコを吸う坊主。

 

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路地裏は僕の好物でもある。

 

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それでは壮大な木々のトンネルをくぐって反対の南側へ行くとしよう。

 

道がいい 

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反対側へ行く途中、水の溜まり場"聖池"で写真をとる人々。サンライズの時はとても美しいことだろう。

 

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トコトコ アルイテ タドリツイタ ハンタイガワ。親子のような木があった。

 

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南側は、北側のみやげ物屋ゾーンとは異なり人の気配を感じづらかった。にしても、「道がいい!」。永遠と続きそうなロングストレートがたまらない。

 

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少し歩くと古びた家があった。

 

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こちらも家。というよりも小屋に近い。冒険精神をくすぐる空間。

 

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なんだろう、この入り口は。

 

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入ると、またさっきとは違うおじいちゃんが。

 

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こちらは上裸の兄さんと、志村けん。

 

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と思うと、空間が開けて建物が現れた。また坊主がいる。どうやらこの建物は坊主達が生活や修行をする場所のようだ。

 

 movie: monokann:walking around Angkor Wat - YouTube

永久的に揺れ続けるハンモック。何よりの幸せな時間なのだろう、その幸せを分けてもらえた気がした。

 

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そろそろアンさんとの約束の時間も近づいてきたので入り口側へ戻っていこう。

僕はカンボジアに来てから思うことがあった。それは、「カンボジアの"道"はなんだかとってもいい!」ということだった。永久に続いていきそうな、このままどこまでも行ってしまいたくなるような、それでもきっと行ってしまってはダメなような、そういった心をプラスにもマイナスにもくすぐる素晴らしさがあるように感じていた。なぜいいのか一つ考えた結果がある。きっと、自然が作った緑と、人が開いたであろう人工的な道のバランスがとてもいいからではないか、と。

 

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道がいい。

道は歩いていくものだ。あなたも僕も、今日も明日も道を歩いていく。

 

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道がいい。

例えば、途中で二手に分かれる部分があっても、その先にはまた道がある。もしかしたら、どちらを選んでもまた同じ道に行くかもしれないし、全く別の道かもしれない。

 

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道がいい。

まっすぐ伸びる木、ひねくれている木。歩いた先は光か闇か。

 

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そんなこんなで僕のアンコール・ワットの冒険は終わった。ありがとうアンコール・ワット。ありがとうその時代に生きた人たち。

 

アンコール・トムの門番

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時間は13時過ぎ。続いて、アンコール・ワットよりも広大な敷地内に様々な遺跡がひしめく"アンコール・トム"へと向かっていこう。

アンさんが「アンコール・トムの入り口で、写真を撮ってやる撮ってやる」と意気揚々としていたので、お願いしてみた。若干ポーズも指定され、取られた写真がこれだ。アングル感といい、ズーム具合といい、現地の匂い漂う独特な撮り方をしてくれた。ありがとう(笑)。

 

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入り口手前の左右には、兵隊のように石像が並ぶ。

 

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首なしや、白い顔のやつがいたりと、なかなかの個性派揃いだった。

 

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アンコール・トムの入り口。なんだか目線だけこちらを見ているように見えた。ふと「映画ドラえもん のび太とブリキの迷宮」のラビリンスを思い出していた。

「うははは、よく来たな。此処はあの世へ通じる大迷宮の入口だ。 潜れば二度と生きて帰れない。それを承知の上ならば、さあ、入るがよい」

試されているような気がした。果たしてこの中にはどんな世界が待っているのか。。。

 

寄り道は人の幅を広げる重要なことだと感じている。教科書通りでも誰かの歩いた道でもない、自分らしい自分なりの景色を見ることだと。それがきっと巡り巡って、自分の世界を広げてくれるものになるんだと。今日の帰り道は少し寄り道してみないだろうか?

 

 

 

※カンボジア・ラオスの旅 no.4に続く →→→

 

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*引用/参考資料

・D22 地球の歩き方 アンコール・ワットとカンボジア 2017~2018(ダイヤモンドビック社/2016年12月)

カンボジア - Wikipedia

カンボジアの歴史 - Wikipedia

アンコール・ワット - Wikipedia

Angkor Wat - Wikipedia

Angkor - UNESCO World Heritage Centre

Ramayana - Wikipedia

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*related

 

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カンボジア・ラオスの旅 [2] / アンコール・ワットを探る / What Angkor × 命を削った細かな作業 × タイムスリップした時間

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時を旅する

ヴィシュヌ神とデバター

アンコール・ワットで息を吸う

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※前回の続き

 

アンコール・ワットへ向かう

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二日目が始まった。ホテルは朝ごはんがなく、時間もおしかったのでカロリーメイトを2本食べながら、仕度をした。(僕は旅をする時はカロリーメイト4本入りを5箱ぐらい持っていくようにしている。)

昨夜、杯を交わしたアンさんが本日も案内役。僕らはアンコール・ワット遺跡へ向かって出発した。昨夜は暗くて気づかなかったけれど、ホテルの周りはローカル感溢れるお家に囲まれ、道などもほとんど整備はされていなかった。なので、トゥクトゥクは凸凹道をガタガタしながら進み始めた。出発時すぐに出会った一匹のワンちゃんもあいにくブレブレの写真となった。

 

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道には終始ゴミが捨てられている。これが普通であり、これが日常。

 

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日本の街中がいかに整備されているかに感謝の気持ちが湧いた。日本のゴミ収集の従業員さんは今日も明日もみんなのゴミを集めてくれていることを忘れてはいけない。

 

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少し落ち着いた道になってきた。少しモヤってはいるけれど、清々しい朝を感じていた。

 

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高級ホテルの従業員さんのお仕事も開始のようだ。

 

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ヒンデゥーの神々も日常に馴染んでいる。

 

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商店らしきものも現れた。

 

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そう思っていると交通量も次第に増え始めていた。

 

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ゆらり揺られ30分ほど。アンさんはエンジンを切った。どうやらここでアンコール遺跡群の入場チケットを買うらしい。まだ8時台だというのに多くの人で賑わっていた。

 

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チケットは3種類ある。1日券(20US$)、3日券(40US$)、7日券(60US$ / 購入から1ヶ月間の内の任意の7日間有効)。僕は3日しかカンボジアにいないので、3日券を買った。購入の際は顔写真も撮られる。

 

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これがそのチケット。寝不足だったので、顔面蒼白。

 

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チケットを買ったらすぐアンコール遺跡にいけるか?というとそんなに甘くはない。アンコール遺跡は広大なため、チケット売場からまたトゥクトゥクに乗って移動が必要になる。

 

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少し景色が変わってきた。アンさん曰く、この森林の奥にアンコール・ワットはあるらしい。

 

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すると何やら遺跡のような物が頭を出した。あれだ!

 

アンコール・ワットとは

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 photo: Google マップ

「アンコール・ワット」とは、1992年にユネスコ世界遺産に登録された、世界でも有数の観光スポットの一つだ。"Angkorアンコール"はサンスクリット語で"王都"を指し、"Watワット"はクメール語で"寺院"を指す。その姿はカンボジアの国旗にも使用されている。特に、光輝く太陽を神格化した神"ヴィシュヌ神"に捧げる寺院とされる。

建設の始まりは、12世紀前半。創建者であるスーリヤヴァルマン2世によって、30年以上の年月をかけて建てられた。建築方式は、大伽藍(だいがらん)や彫刻などが美しい「クメール建築」を採用。建物の材料は、見える部分は"砂岩"を、見えない部分には"ラテライト(紅土)"が主に用いられている。見学の際に、建築で特に注目したいのは、壁画だ。少し敷地内を歩けば、女神を意味する"デバター像"が壁に描かれており、一つ一つ表情も服装も異なるため、丹念に掘られ描かれていったことがわかる。また、"レリーフ"と呼ばれる浮き彫りの彫刻も注目だ。ヒンドゥー教などに代々伝わる物語や経典を題材に、壁一面に彫られており、見るものを圧倒する強さがある。

敷地は、約1.5km四方の大きさがあり、周りは水で囲まれ、中央に本堂や回廊がある作りとなっている。また、正面入り口である西塔門を入ると4つの沐浴場の跡がある。それらの跡が示すように、アンコール・ワットは"水の都"と考えられている。当時、農業における貯水施設としての役割があり、必要な水源確保とその水を四方の耕地へ分配するよう構成されていた。

日本だけでなく世界でも上位に入る観光スポットであるアンコール・ワット。2016年の観光客数は約500万人ほどカンボジア観光省は、2020年までに年間観光客数:750万人、経済効果:50億ドル、雇用:約100万人の目標を掲げている。カンボジアでは、農業・縫制業・観光業の三大産業によって雇用が支えられている。特に観光業は、トゥクトゥクやタクシーなどの運送業、ホテルや民宿などの宿泊業、遺跡群や街中に多く出店するお土産店などがある。これらからも、アンコール・ワットは地元住民の生活を支える大きな存在だということがわかる。

 

西塔門のヴィシュヌ神とデバター

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念願叶ってたどり着いた"アンコール・ワット"。アンさんと4時間後に待ち合わせをして、一人歩みを進めた。数多くの観光客がそれぞれの思いを持って歩いている。それぞれの人生がある中で、同じタイミングでアンコール・ワットの入り口を歩くことに仲間意識みたいな物を感じたりしていた。

 

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アンコール・ワットの入り口には蛇身"ナーガ"様がお出迎え。

 

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ストレートの道を少し歩くと西塔門が現れた。

 

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中に入ると、太陽を神格化した"ヴィシュヌ神"がお出迎え。「おじゃまいたします。」と声をかけた。

 

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西塔の壁にはさっそくレリーフが描かれている。機械など無い時代、当時の作業者の時間(命)を削って描かれたものだ。

 

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デバター像も描かれている。何でも、中には未完成のデバター像もあるんだとか。工期に間に合わなかったという理由らしい。

 

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首なし銅像もいたりする。

 

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西塔を出て写真を撮った。本塔に行く前にすでに圧倒された気持ち。

 

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中央の道に戻ろう。

 

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それでは

 

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進んでいこう、本塔へ。

 

クメール建築の傑作"アンコール・ワット"

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砂岩とラテライトでできている内装は朱色が映える。また経年変化が歴史の重みを感じさせる。

 

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一つ一つ削り、一つ一つ彫り、一つ一つ積み重ねていった傑作。

 

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絵柄も一つ一つ違う。完成当時は、朱色の上に金箔が塗られていたという話もあるらしい。

 

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砂岩の楣(まぐさ)石を積み重ねた窓。外からは中の様子はわからないが、内側から外がわかる仕様。

 

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中には崩壊している箇所もある。日本からも遺跡研究や保護のために出資や協力がある。

 

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"水の都"を象徴する沐浴の跡。

 

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一人一人がタイムスリップしたように時空を超えた時間を感じているようだった。

 

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少し中の庭を歩くと、落石した石がたくさん落ちていたりする。

 

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一方で、中には、神が並ぶ空間や、

 

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またしても首が取れた銅像がいたりする。

それでは、いよいよアンコール・ワットの中央塔へ。

 

アンコール・ワットの中枢を探る

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圧巻。

入り口から歩きながら思っていたけれど、アンコール・ワットは大きさの距離感がとても取りづらかった。遠映の計算がされているせいからか、中央塔の大きさがわからなかった。けれど、やはり大きな存在感を放っていた。

 

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天辺まで入念に積み重ねられている。

 

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一方で下側を見ると、なにやら模様がかかれている・・・

 

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やることが本当に細かい。細部にまで彫刻が彫られている。

 

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少し疲れたので、腰を下ろしてカロリーメイト・フルーツ味を食べた。よくどこかへ行くと、ちゃんと腰を下ろすことを心がけている。歩いていると見えないことが座ることで見えてくることがたくさんあるから。

 

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座って見上げるアンコール・ワットに感慨深い気持ちになっていた。残念ながら僕が行った期間は中央塔には入れないらしい。残念だけれど、それもまあいいかという広い心があった。

 

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せっかくなので、東塔など他の箇所も歩いていた。

 

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写真を撮られる人と、その人を撮る人と、その二人を撮る人と、その三人を撮る僕。

 

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ピンクのシャツを着ている人がいる箇所も歩けるので、行った際はぜひ歩いてみてほしい。少年に還ったように楽しいから。

 

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入り口は西側で、午前中は逆光になってしまう。東側から撮るとやっと写真に青が出てきた。青空とアンコール・ワット、とてもいい。

 

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どこかへ行くことは、新しい発見を探すことだろうか。それとも、自分の中に眠っている物を呼び起こすことだろうか。他者からもらい、自分も消化する。自分も与え、誰かも消化する。時空を超えて交わすコミュニケーションが遺跡には詰まっているのではないかと考えている。

 

 

※カンボジア・ラオスの旅 no.3に続く →→→

 

 

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*引用/参考資料

・D22 地球の歩き方 アンコール・ワットとカンボジア 2017~2018(ダイヤモンドビック社/2016年12月)

カンボジア - Wikipedia

カンボジアの歴史 - Wikipedia

アンコール・ワット - Wikipedia

Angkor Wat - Wikipedia

Angkor - UNESCO World Heritage Centre

カンボジアの2016年上半期の観光客数、韓国が下落し中国とタイが上昇[統計]

100万人が訪れる世界遺産のすぐ隣にある貧困観光産業の光と影 | 海外レポート世界の街角お金通信 | 橘玲×ZAi ONLINE海外投資の歩き方 | ザイオンライン

アンコールワットに支えられるカンボジア観光業 | コンサルティング | 大和総研グループ | 太田 紗奈絵

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*related

 

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カンボジア・ラオスの旅 [1] / 旅に出ること × ビザ騒動 × 綺麗と汚い / トゥクトゥクドライバーと乾杯して感じる文化

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カンボジア

そして、ラオス

東南アジアの二国を巡る旅 はじまり

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最近旅に出たのはいつですか?

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「国」は人の集合体。そして、その国で暮らす人々は性格や考え方の似た国民性を持つようになる。例えば、日本では、「隠す文化」や「おもてなし」などがそれにあたり、多くを語らないことやお客様を大切にすることが美学とされ、人々の中に根付いている。それら「文化」や「カルチャー」は、長い年月をかけてできあがるものである。

一方で、日本だけで生活をしていると考え方が凝り固まってしまうことがある。コンビニに行けば食べ物が購入でき、カフェで荷物を置いて席を外してもだれも盗んだりせず、電車は1分とずれず時間通りに到着する。そんな「当たり前」が当たり前である生活を続けていては、失ってしまうものがある。「新しいものを受け入れる気持ち」だ。コンビニなどそう簡単になく、荷物から目を離せば盗まれ、そもそも電車の線路自体ない。そんな世界が存在する。

僕もあなたも常に今の現状を疑っていかなくてはいけない。世界は本当の意味で広く、そこには様々な文化や考え方が存在している。そんな新しいものを知り、感じ、自分の中に落とし込むことは、今の当たり前が当たり前ではないことを教えてくれる。そして、その衝撃や感動は、新しい文化やカルチャーを生むアイディアの一つとなる。

さぁ、明日でもいい、3ヶ月後でもいい、旅に出てみてはどうだろうか?

 

カンボジア王国とは

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 photo: カンボジア - Wikipedia

今回、僕が一人訪れた国は東南アジアの二国「カンボジア王国」と「ラオス人民民主共和国」だ。この二国を選んだ理由はいくつかあるが、最大の理由は行きたい"遺跡"があることだった。カンボジアは世界遺産「アンコールワット遺跡」、ラオスは謎の石壺が点在する「ジャール平原」。遺跡には、過去の人々の信仰や生活が見える一方で、今ではわからない神秘的な謎が秘められている。そのため、遺跡に触れると今まで考えたこともなかった考えや創造に到れることがすごく好きだ。イギリス"ストーンヘンジ"や、チリ"イースター島のモアイ像"なども素晴らしかった。(モアイ像はまた別の機会に書こう)。

先にカンボジア王国を少しご説明。

「カンボジア王国」は、東南アジアのインドシナ半島にあり、タイ・ラオス・ベトナムと国境が接する人口1,500万人程の国だ。その歴史は古く、人が住んでいた最古の形跡は紀元前4,200年頃と推定されている。インド商人が来航して始まったアンコール時代を皮切りに、フランス植民地時代、二つの政権による内戦「カンボジア問題」などを経て、1993年9月に現在の「カンボジア王国」が誕生した。そのため、国旗も旧王国時代の国旗が復活したものが使用されている。国旗の青色は王室の権威を、赤色は国民の忠誠心を、白色は仏教を象徴している。そして、中央の建物は世界遺産のアンコールワット遺跡だ。

首都はプノンペンだが、アンコールワット遺跡は、Siem Reapシェムリアップという街にある。日本から行く際は、タイのバンコク経由が一般的だ。気候は年間を通して雨季と乾季があり、僕が行った2月は全く雨も降らず激しい暑さが続いた。

 

日本〜バンコク〜シェムリアップ 

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さぁそれでは出発するとしよう。

出発は千葉県・成田空港から。使った飛行機はAir Asiaだ。毎回思うが、Air AsiaのCAさんは赤の映える強気メイクの方ばかりだ。国と同じように、会社のイメージもまた従業員という人が作っていることを実感する。

僕の飛行機での楽しみは、"機内雑誌"を読むこと。機内雑誌には、「うちの国はこんないいところがあるよ!」「うちのブランドは最高さ!」といった通常の雑誌とは違う強さがあるから見入ってしまう。今回の内容は、アジアらしい場所を紹介する内容で、旅への高揚する気持ちを感じていた。

 

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こちらは、インドネシアのバリ島にある"Ubudウブド"。インドネシアもいい所だった記憶がある。

 

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経由地であるタイ・バンコク"ドンムアン空港"。カンボジア行きの飛行機は2時間遅れとのことで、トランジットではないため外には出られず空港内で待つことに。乗客はヨーロッパ系の人が多かった。

 

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飛行機を待つ間、僕の隣に座っていたイタリア人のカップルは、寄り添いながら"The 5 Love Languages (witten by Gary Chapman)"という本を読んでいた。どうやら日本語翻訳版"愛を伝える5つの方法"も販売しているらしい。愛に関する本を恋人と一緒に読んだことはないけれど、あの二人は互いにどんな感情になっていたのか気になっていた。

 

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そうこうしている内に、飛行機が準備できたようなので乗り込もう。 

 

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いざ、カンボジア・シェムリアップへ。

 

シェムリアップ国際空港でのビザ騒動

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ゆらりゆられ、ついに辿りついたシェムリアップ国際空港。空港自体はそこまで大きくはなく、アジアが感じられる外観になっていた。

 

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ビザ確認と入国審査のために空港内に入る。中には、アンコールワットのミニチュア模型や、神々しい光をまとった神の顔が飾られていた。

 

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ビザ確認の時に振り回され事件が発生した。

カンボジアに入国する際は、ビザが必要となり、取得は事前にネットでするか、空港で行うかの二通りある。僕は空港でわちゃわちゃするのが嫌だったので、事前に取得していき、しっかりとコピーも取ってきた。ふと、空港でのビザ取得場所を見ると長蛇の列になっていて、「先に取っておいてよかった」と内心安堵していた。

意気揚々とパスポートとビザを手に持って入国審査の列に並び、順番が来て、前へ進んだ。対応してくれたのはふくれっ面のおじさん審査員。すると、パスポートなどを手渡した5秒ほどした時だった。彼は、「あっちへ行け」とビザ取得の列を指差した。「いやいや、ビザもう取ってるよ」と英語で説明したが、あっちの列に行けの一点張り。しかたなく、ビザの列に移動し並び数分後順番が来た。対応してくれたのは声がやたらと大きいおじさん従業員だった。(ちなみに、ビザの受付は4人いて、仕事をしながら4人でずっとおしゃべりしていた。)

僕は説明した「事前にビザ取ったんだけどこれじゃダメなのかい?」と。おじさんは「入国審査の列に行け」と、入国審査の方角を指挿した。「???・・・???」。パニックだった。この人達は僕に何をさせたいのか?いじめか?と憤りを感じていた。この後、僕は同じ行動を合計で3回行う。それでもまだ入国できない。おじさん達は何も教えてもくれない。

僕は少し冷静になろうと、辺りを見回すと一部の人は室内の端っこの方でおしゃべりするおじさんのところで何やら紙をもらっている。「・・・あれだ!」とすぐさま駆け寄り、一枚の紙をもらった。どうやら事前にビザを取得してもしなくても書かなければいけない用紙があったらしい。無知な自分を呪った。偶然先ほどのふくれっ面おじさんの場所に並び、先ほどの紙とパスポートなどを手渡した。おじさんは少し笑っていた。僕も少し笑った。そうして僕は無事カンボジアの地に降り立ったのである。

 

カンボジアの街を走る、トゥクトゥクで

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空港を出ると予約していたホテルからのお迎えが来ていた。乗るのはもちろんアジアの定番トゥクトゥクだ。ドライバーはこの道30年のベテラン"アンさん"。

 

https://www.instagram.com/p/BBxwFVaKIQc/

小慣れた運転さばきで走り出したアンさん。 乗り心地はまずまずだった。

 

 movie: monokan:By Tuktuk in Cambodia - YouTube

カンボジアの道は、中央に通常の自動車が通る道路があり、その脇にトゥクトゥクやバイクが通る道路がある。信号もあまり見られず、トゥクトゥクが横横断する際は、運転手の判断に任せられる。でも、自動車の運転手もそれをわかっているので、スピードを緩めることは日常のようだった。日本のようにきっちりと信号がある世の中とは違うルールがあるなと感じていた。

 

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基本的にラオスの道は汚いし、整備もちゃんとはされていない。コンビニなど見当たらず、小さな個人商売のお店が道に点々とあるのみだ。そして、そのお店自体も綺麗ではない。

では一体"綺麗さ"とはなんだろうか?綺麗の水準は育ってきた環境によるものだと思ったりした。もし彼らがこれを「普通だよ」といえばそれが普通なのだ。

 

トゥクトゥクドライバーと飲み会

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ホテルに到着し荷物を降ろすと、アンさんは僕に質問した。「Hatto-ri、ご飯食べたか?これから一緒に食べに行かないか?」と。そう質問された瞬間、僕の頭の中には二つのことが過っていた。一つは、「どんな所にいくのだろう、面白そうだ。」という好奇心。もう一つは「一緒に行ったら身包み全部取られてフルボッコにされるのではないか?」という懐疑心。しかし、僕はいくことにした。世界が広がるチャンスがある気がしたからだ。

連れて行かれたのは、ピンクや紫のライトが目立つ飲み屋だ。日本の居酒屋に慣れていると想像しずらいが、カンボジアの居酒屋と言えばこんなところらしい。

 

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メニューは全てクメール語だった。一文字もわからないので、アンさんにお任せした。

 

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乾杯はもちろん、アンコールビア。日本と大手ビールと同じピルスナー系のラガービールだ。「チョルモーイ!」とクメール語の"乾杯"を意味する言葉で飲み始めた。ビールを飲みながら、僕はカンボジアに降り立ったことを嬉しく思っていた。

 

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カンボジアでは基本的に冷えていないビールを氷入りのバケツに入れておく。飲み終われば店員のお姉さんが自分の席の後ろのバケツからビールを取り、栓を抜いてくれるシステムだ。

 

 movie: Angkor Beer in Cambodia - YouTube

アンさんと互いに上手くない英語で、互いについて話しをした。「なんでカンボジアに来たのか?」「トゥクトゥクドライバーはどれぐらいやっているのか?」「Hatto-riは、日本で何をしているのか?」「家族はいるか?」などなどである。アンさんは家族の写真をスマートフォンで見せてくれた。その写真には、幸せそうな家族と、日本人からすると相当貧しい感じの家が写っていた。国や物価が違うだけで、異なる生活があることを感じていた。しかし、決して綺麗な日本がえらいわけではないし、ここに"差"なんてことを考えてしまうことが野暮な話だとも思った。そして、その違いは幸せとはまた別の話のようにも感じていた。

すると、一つの電話がなり、アンさんは電話し始めた。「やばい、恐喝軍団が来るんじゃないのか?」と少し不安になりながら僕は平然とした顔でアンコールビアを飲んでいた。電話中、僕は暇だったのでふと店の全景を見回していた。ピンク紫のライトの下で個室空間に座る人もいたり、奥では不思議なダンスが行われていたりと、アンダーグラウンドな気持ちを楽しんでいた。アンカービアはさっきよりも減っていた。

 

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アンさんの電話が終わり数分後、一人の男が現れた。見た目は若干老け顔だけれど、おそらく僕と同じぐらいの年齢だと推察される。どうやら恐喝ではなく、話を聞くとアンさんの15歳年下の弟だという。彼はアンさんより英語が達者だった。「チョルモーイ!」。3人で改めてアンコールビアで乾杯をした。弟君はなかなかのおしゃべりで、いろんなことを教えてくれた。面白かったのは、「カンボジアでは基本的にコミュニケーションや仕事のやりとりなどはFacebookでする」という話しだった。日本でもその流れはあるけれど、カンボジアは顕著で、ほぼFacebookしか使わないという。ペラペラペラペラ、ぺらぺらぺらぺら。弟君はマシンガントークで話し続けた。その会話とカンボジア音楽に触れながら、僕のカンボジア初夜は終わりを迎えた。

 

 

※カンボジア・ラオスの旅 no.2に続く →→→ 

 

 

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*引用/参考資料

・D22 地球の歩き方 アンコール・ワットとカンボジア 2017~2018(ダイヤモンドビック社/2016年12月)

カンボジア - Wikipedia

カンボジアの歴史 - Wikipedia

ラオスの国旗 - Wikipedia

http://donmueangairportthai.com/jp

Discover Your Love Language - The 5 Love Languages®

The 5 Love Languages - Gary Chapman(Northfield Pub)

・愛を伝える5つの方法 - ゲーリー・チャップマン(いのちのことば社/2007年8月)

 

Angkor Beer

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*related

 

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健康であるためには? / 放射能泉 / 砂むし風呂泥風呂"ラジウム温泉保養センター"へ

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主軸は体

一部が欠ければ動かない

一部が欠ければ笑えない

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亀に自分の健康を心配される前に 

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年々、「体」というのは全身がリンクしているものなんだと気付かされる。

頭が痛いと動けないし、歯が痛ければ集中できない。疲れが溜まってアルコールを飲めば次の日消化が悪いし、ふいに足の小指を打ったりしたらやる気も出ない。

全身で体。全身で活動。

そして、少し調子が悪いと治療をしたり、薬を飲んだり、休んだりする。技術や時間や思い込みで体ができていることもまた実感する。

そういえば、ドラえもん16巻で"すいみん圧縮剤"という道具があって、「1時間寝れば10時間寝たことになる」というから、昔は相当優れものだと思っていた。けれど、働いてから思うとえげつなく恐ろしい道具だと思うわけだが、それぐらい療養の"質"というものも大事になってくる。

近所の薬局には全身が金の人間と、その足に擦り寄る亀がいる。先日改めてその前を通ったら、亀が喋りかけているように見えた。

「おい!体大丈夫か?疲れてんのか?薬飲むか?」

疲れというのは"頑張っている証拠"などと言ったりするが、そんなポジティブシンキングは必要ない。疲れていないのがいいに決まっている。

怪しげな亀が近づいてくる前に、自分の体を大切にしていきたいものだ。

 

 

 

 

奇怪な物を見に行こう:砂むし風呂泥ぶろ"ラジウム温泉保養センター"

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体が元気でいるためには、お風呂に入り血行を良くし汗をかくことも大切だ。先日、年上の友人に連れられ、東京都江戸川区にある「ラジウム温泉保養センター」へ行ってきたので紹介したい。

[ラジウム温泉保養センター概要]

HP:ラジウム温泉保養センター│江戸川区、一之江のラジウム温泉保養│ぱどナビ

住所:東京都江戸川区春江町5-5-13

map:Google マップ

TEL:03-3686-6600

アクセス:都営新宿線"一之江駅"or"船堀駅"から徒歩15分

価格:砂風呂+ラジウム温泉=3,900円、ラジウム温泉のみ=1,200円

営業時間:火曜日~日曜日午前10時開店~午後8時閉店(砂風呂受付午後6時まで)

定休日:毎週月曜日、年末年始、夏季

 

 

 

ラジウム温泉とはなにか?

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 photo: flickr - zerokarma

放射能を含んだ温泉を"放射能泉"といい、中でもラドン元素を一定量以上含むものを"ラジウム温泉"という。多くの人にとって放射能というと、原発事故などが想起され怖いイメージもあるかもしれない。しかし、実際はそういった放射能と意味合いが異なる。

ではラジウム温泉はどのようにできるのか。

[ラジウム温泉が湧き、人体に取り入れるまで]

温泉とは地下水が地熱によって熱せられたもの。温泉が地表へ湧き上がる際に、放射線物質であるウランやトリウムを多く含んだ岩石の近くを通る。それにより、温泉水の中にウラン由来のラジウムやトリウム由来のトロンなどが溶かし込まれ(溶解され)地表から湧出する。ウランやトリウムというのは原子力発電の熱エネルギーを発生させるために使う元素である。

ラジウム温泉からは、気体のラドンが発生しており、それが呼吸により体内に入る。体内に入ったラドンはその放射線の力で体への治療効果があると言われている。そして、気体であるラドンは体内でイオン化され数時間後に体内から排出されると言われている。

その治療効果は複数あると言われている。新陳代謝の促進や痛風、糖尿病やリュウマチなどにも効果があり、下垂体副腎系、卵巣、睾丸の機能を高める作用もあるという。その根本にある考えは、「放射線ホルミシス」という理論だ。これは、『少しの放射線は、免疫機能の向上などをもたらし、身体のあらゆる活動を活性化し、病気を治したり、病気にかからない強いからだにしたり、老化を抑えて若々しい身体を保つなど、あらゆる良いことをする』ことを指す。しかし、断っておきたいのは、決してその効果は医学的に証明されてはいないということ。あくまで効果があるかもしれないし、ないかもしれないという期待と失望が入り混じったレベルなので、そこは伝えておきたい。

日本全国で有名なラジウム温泉といえば、北海道の二股ラジウム温泉、山梨県の増富温泉、鳥取県の三朝温泉などがある。

 

 

 

アクセス:一之江駅から保養センターまでの景色 

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一番の最寄駅である一之江駅から南西側に向かい、都道318号線を渡る。住宅街の中には、こんなに近くで見れる電線のスタートがある。興味深い。

 

 

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「人がいる!」と思ったら、フリーキック練習用の壁。6人でひそひそ話をしているみたい。

 

 

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途中にある公園で、少年たちが遊ぶ。楽しそうだ。

 

 

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なんだか昔なつかしい遊具。年季の入り具合はなかなかだ。

 

 

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到着まぢか。ファミマの奥になにやらいる・・・

 

 

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新築!リフォーム!耐震!それらの工事を行う「株式会社スイコウ」のかたつむり。名前を調べたが不明・・・おそらく「スイコウくん?」。このスイコウくんが目印だ。

 

 

 

砂風呂とラジウム温泉で感じていたこと

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それでは「ラジウム温泉保養センター」をご紹介。建物は意外にも大きく、いい笑顔の友人と比較してもその大きさがよくわかる。この施設は、元日本稀元素鉱物理科学研究所所長である故・渡邊光弘氏によって建てられた。彼は、長島乙吉氏という有名な鉱物研究家からラジウム鉱石の粉末を飲むことを勧められ、元々持っていた喘息の発作が治ったことを理由にこの施設を建てたという。

 

 

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入り口を入り、内部は若干あやしい感じ。1階に砂風呂とラジウム温泉があり、受付は2階なようだ。階段を上ると変なラクダがお出迎え。「ラクダー」なんてシャレは久々に聞いた。笑

 

 

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待合室・休憩室・食事処といった部屋。写真の女性がいる位置が代金を支払う受付。砂風呂とラジウム温泉合わせて3,900円とはなかなかいいお値段している。でも受付のおばさまに「サイトのクーポンを見せてくれれば600円引きだよ。」って言われて、その場で調べて割り引いてもらった。むしろ元々お得に感じさせるそういう商法か?でも今はサイトを見てもクーポンが見当たらない。クーポンをやめてしまったのだろうか。

砂風呂は数が4つほどしかないため、順番が呼ばれるまではこの部屋で待機。席にラジウム石が置かれていたり、ラジウムの水が飲めたり、放射線に関する本が多数置かれていたり、地元のおじさま方がくつろいでいたりと、不思議な空気が流れていた。

 

 

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写真はサイトより。さすが稀元素鉱物の研究家、博物館みたいにケースにも鉱物が入っている。

 

 

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いよいよ順番が呼ばれたので、まずは砂風呂から。実際に写真を撮ることができなかったので、写真はサイトより引用。対応していただいたのは、お父さんとその息子さんといったお二人。人型になった砂の上に寝転び、二人にどんどん砂をかけられていく。「うっ、案外重い」なんて心で思いながら、どんどんかけられていく。よく映画やドラマで、死んだと思い棺桶に入れられて、埋められた後に生き返るけれど砂が重くて出られないなんてシーんがあるけれど、その気持ちがよくわかった。どうしようもできないんだなって。

砂をかけられたら、タイマーが押され、そこから10分?15分ほど放置される。砂の中にいると始めはそうでもなかったのだけれど、徐々にドクンドクンと心臓が波打っていることを感じた。「あー人間の体にはやっぱり血が巡っていて、心臓は常に脈打っているんだな」ということに改めて気付かされた。そんなことを思っている間にどんどん僕の体からは汗が吹き出てくる。お風呂に浸かっているのとは違う、時間を忘れ、ただぼーっとするという感覚。たまに本当にこの砂から出られないかと、手をごぞごそして砂を掘ったけれど、無駄な努力だと思い知らされた。

ピピピピ、ピピピピとタイマーが鳴ると先ほどのお二人によって砂がどかされていく。砂だらけの体はシャワーで落としていく。

 

 

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そしてそのまま隣の部屋へ移り、次はラジウム温泉に入る。血行がいいこともあり、ラジウム温泉も気持ちがよく、頭は何も考えられず浮遊感を感じていた。正直なところを言えば、これがラジウム温泉か普通のお風呂かと聞かれればよくわからない。「気持ちがよかった。」その言葉につきる。

 

 

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最後に僕の顔を見てもらえればお分かりだろう。絶妙にすっきりした顔をしている。出すものを出したという感じだろうか。本当は看板に保養センターの詳細が書いてあるのだけれど、光が強くて写らなかった。ただこの光った感じからも、すっきりさが伝わるようだ。

 

 

 

健康であるためには、実際何がいいのかの正解はないんだと思う。

 

 

 

食事も運動も休息も、どれも質がいいに越したことはないけれど、実際は一人一人健康である方法は異なる。そして、逆に健康を意識しすぎると面白いことができなかったりもするからまた難しい。十人十色。トライアンドエラーで、「自分なりの健康」を探していければいい。

 

 

 

 

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*引用/参考資料

1, 睡眠圧縮剤 | ドラえもん Wikia | Fandom powered by Wikia

2, 驚異!!天然ラジウムが難病を治す―玉川・北投・熱川・神代のラジウム温泉療法

3, 『稀元素』鉱物が持つ天然の放射線でガンが治った!!

ラジウム温泉保養センター│江戸川区、一之江のラジウム温泉保養│ぱどナビ

Radium Hot Springs - Wikipedia

ラドン - Wikipedia

温泉の科学目次

放射能泉 - Wikipedia

ラジウム温泉って? − 温泉大辞典 − BIGLOBE温泉

全国のラジウム温泉と湯治のための総合情報サイトです。

二股らぢうむ温泉公式サイト

二股ラジウム温泉

ラジウムについて::山梨県 増富温泉 天然岩風呂の宿 不老閣

三朝温泉旅館協同組合│宿泊施設&観光情報満載│三朝温泉旅館協同組合

船堀ラジウム砂風呂温泉報告 - YouTube

株式会社スイコウ | トップページ|スイコウ| 【新築・リフォーム・耐震補強】江戸川区・足立区・葛飾区・江東区・墨田区・市川市・浦安市

3分でわかるスイコウ- 新築 & リフォーム 「江戸川区・江東区・墨田区・葛飾区・足立区・市川市・浦安市」 - YouTube

かたつむり通信1号

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【Lamb音源】 

Lambのプレイリストを公開しています。1曲1曲から何かを感じてもらえたらうれしいです。ライブ情報も公開していますので、随時お知らせいたします。

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火を見つめてしまう理由 / 進化論 × 大陸移動 × プロメテウスの火 / 恵比寿カフェ・CAFE PARK

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高揚する火

落ち着く火

本能に埋め込まれた火

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火を見ている時の気持ちとは?

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 photo: 恵比寿 CAFE PARKにて

2017年が明け、初詣に行った時のこと。まだ1月1日の深夜1時を回ったぐらいで、気候も防寒着が必須な芯から冷える時間帯。参列者は、神社の参拝のため、長蛇に列を成して並んでいた。その神社では、列の両側に松明が等間隔で置かれていた。参列者が寒くないようにと、神社側のご厚意だろう。もちろん僕も参列者の一人で、「暖かいな」とありがたい気持ちでいた。そんな時、ふと人々を見ていると、どの人も松明の火に釘付けになり、目を奪われたように火を見ていることに気がついた。気持ちが高揚しているような、心が落ち着いているような、そんな顔をしていた。

たまに行くカフェに行った時のこと。そのカフェでは各テーブルに一つロウソクが灯されていた。当然僕が座った席にもロウソクがあり、その火はガラスの器から頭を覗かせながらゆっくりと揺れていた。そのロウソクを眺めていると、そのカフェの雰囲気に合わさって、なぜだか心が落ち着いていることを感じていた。

火を見ることは何か力があるのだろうか。なぜ火を見ていると気持ちが高揚する感覚がするのだろう。なぜ火を見ていると気持ちが落ち着く気がするのだろう。人の本能には火に関する何かしらの記憶が刷り込まれているのだろうか。

 

ダーウィンの進化論

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 photo: flickr - Lola Ro 

世の中には様々な人類の進化論が定説されている。中でも最初に人類の進化論を述べたのがCharles Robert Darwin チャールズ・ロバート・ダーウィンだ。彼は"Descent of Man, and Selection in Relation to Sex (1871)"の中で、アフリカの類人猿とヒトの間に解剖学や行動上の著しい類似点を指摘した。このことは、「人類の祖先は、アフリカの類人猿に近い人種であり、人類はアフリカで誕生した可能性が高いこと」を示唆した。同時に、ヒトには類人猿とは異なる特性があることも指摘した。直立二足歩行や道具の使用、小さな犬歯などがそれである。これら特性は、各々が別々で作用しているわけではなく、すべてが関わり合いながら促進されたものと考えた。

アフリカの類人猿以降、ヒトは原人・旧人・新人と進化していく。最初の原人の化石は世界中で多く見つかっているが、最も古い物になるとアフリカ東部から南部の物に限られる。このことからも、人類はアフリカ地域から世界中に広がっていった(Out of Africa)と考えられている。そして、その特性や大陸の移動に火の使用が関連してくる。

[ヒトの特徴]

・直立二足歩行(体の変化も含む)

・道具の使用

・高い知能(大きな大脳、意味を連ねた有節言語の使用など)

・高い社会性(協同行動、相互扶助などの関わり合い)

・小さな犬歯(大臼歯の小型化)

*引用/参考 1-10

 

火を使い始めた人類

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 photo: 人が歩んだ500万年の歴史〈2〉人のはじまり - 瀬戸口烈司/木村しゅうじ

火の使用跡で最も古いものは幾つか云われがある。150万年前の南アフリカ"Swartkrans Cave スワルシクランス洞窟"、140万年前のケニア"Chesowanja チェソワンジャ遺跡"などだ。また、2012年に南アフリカの"Wonderwerk Cave ワンダーウェーク洞窟"にて確実な火の使用跡も見つかっている。ボストン大学のフランシスコ・ベルナなどを含む国際研究チームは、深さ140メートルの洞窟内にて約500℃で加熱された動物の骨や植物の灰などを発見した。

洞窟などから火の使用跡が見つかっていることから、原人は気温差や季節差の防寒のため、火を使っていたと想像できる。特に、アフリカ地域からユーラシア地域への移動では、動物の毛皮だけでは凌げない寒さに打ち勝つために、火は必須であったと考えられる。その際は、原人は集団で火を囲み、寒さを防いでいたことだろう。

火の習性についてこんな話がある。 通常の動物は火を見ると逃げ出す傾向にあるが、サルやチンパンジーなどのサル類は、火を怖がらず、火の周りで暖を取るという。火にあたると体が温まることを知っているからだろう。もちろん、現代人は今でも焚き火を囲んだり、こたつにくるまったりもする。つまり、人の本能の中には、火にあたり暖を取ることの温かみや重要性が染み付いていると考えられる。また、食事をするためにも集団や家族が火の周りに集まることになり、自然とコミュニケーションが生まれることにもなる。火には、つながりや絆を想起させる記憶が本能的に備わっているのではないだろうか。

他にも、明かりや肉食獣から身を守るため、もちろん食事などの用途にも火を使用していた。中でも、食事は火のおかげで大幅にレパートリーを変化させ、それまで食べられなかった物も柔らかくして食べられるようになった。この火と食事の関係は、ダーウィンの説のように、大臼歯も小型化していったことと結びつく。

*引用/参考 6-12

 

力と脅威を誘発する火 

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 photo: Prometheus - Wikipedia

では、原人が初めて火に触れるきっかけは何だったのか。一説には、落雷やマグマの噴火によって生まれた火を大切に絶やさず使用していたと考えられている。そういった環境だからこそ、火には自然現象の偉大さや脅威のようなイメージが残っていると考えられる。各地域で宗教的な神話が作られもしている。その代表作がギリシャ神話の"プロメテウスの火"だろう。この神話からわかるように、古くの人から火には、"力"や"脅威"、"恐れ"などを象徴させる存在であったことがわかる。

[プロメテウスの火]

むかしむかし、タイタンという巨人族は地上に暮らし、仲間割れや争いばかりしていました。その中に一人だけ頭のいい巨人"プロメテウス"がいました。タイタン族に不信感を感じていたプロメテウスは、弟"エピメテウス"と共に、神々の王ゼウスの味方になり、タイタン族を退治することにしました。神々は、プロメテウスの知恵もあり、みごとに戦いに勝利しました。しかし、地上にはまだ"人間"が残っていました。ゼウスは、人間は愚かで悪いことをすると考えていたので、この世から根絶やしにすると言いました。一方で、プロメテウスが人間を作ったこともあり、プロメテウスは人間をたいそう可愛がっていました。しかし、人間は地上の生き物の中でも一番力のない存在でした。そこで、プロメテウスは人間を助けるために、ゼウスが持つ"赤い火の花"をこっそり盗んできました。この火のおかげで、人間は強くなりました。例えば、ライオンの爪よりするどい鉄の武器を作り、野生の獣を慣らし家畜にし、頑丈な杭で外からの敵を防ぐことなどできるようになりました。人間がどんどん強くなっていくのを見て驚いたゼウスは、赤い火の花が盗まれていることに気がつきました。すぐにゼウスはプロメテスの仕業だとわかり、刑罰としてプロメテウスを岩に縛りつけました。それから長い時間が経ちました。しかしあるとき、ゼウスの王座が危うくなったことがあり、プロメテウスはゼウスに知恵を授けました。その恩もあり、プロメテウスは自由の身になることができました。とさ。

*引用/参考 11-16

 

火に宿る人類の本能

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 photo: flickr - John Hughes

火は人間が進化する上で、必須なものであった。例えば、繋がりや絆を育む場所に火があった。また、力や脅威、恐怖などを想起させる存在でもあった。そんな本能的に刷り込まれた記憶やイメージが、今でも人々の中に残っているのではないだろうか。

現代は、電線やガスが張り巡らされた世の中であり、お風呂やコンロにしても、なかなか直接的な火を見ることは少なくなった。電車で周りを見れば、小さな四角の画面を見ながら違うどこかの誰かとコミュニケーションを取っている。ここではないどこかの情報を覗き、ここにある今を失っているように感じる。そこには、火の周りで暖を取るような温かみはない。だからこそ、たまに見る火には暖かみや温もりを感じることができるのではないだろうか。修行や瞑想ではないけれど、家にいるときにたまには電気を使わずロウソクにしてみたり、誰かと焚き火をしてみたりと、火に触れる機会を増やしてはどうだろうか。そうすることで、心に火を灯すことができ、心を落ち着かせることができるはずだ。そして、人間としての本能を思い出すことができるのではないだろうか。

けれど、これだけは言っておきたい。

 

「くれぐれも火の取り扱いにはご注意を。」

 

 

 

 

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東京・恵比寿:CAFE PARK(カフェ・パーク)

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今回は、そんな火の温かみを感じるカフェを紹介します。それが恵比寿にある"CAFE PARK"です。恵比寿駅からは10分弱歩きますが、駅前ではないので混雑はしておらず、とても落ち着けるカフェです。席には一つずつロウソクが置かれ、火の温かみを感じることができます。また、スタッフの方々は自然な接客をしてくれます。例えば、食事がどれぐらい減っているかなどをお客さんに気付かれないようにさり気なく確認してくれます。(僕の時は、席を直すふりをして確認していました。)料理も非常に美味しく、ドリンクもとてもおいしい。例えば、カフェラテはしっかりとエスプレッソの味を感じ、濃く深い味わいがあります。ミルクともよく絡んで気持ちも落ち着きます。

一人でも二人でも複数人でも、はたまたイベントなどでも活用できるカフェです。

[カフェ情報]

店名:CAFE PARK(カフェ・パーク)

住所:〒150-0021 東京都渋谷区恵比寿西1-21-15 エルスタンザ代官山B1

map:Google マップ

HP:CAFE PARK|恵比寿エリアのライフスタイルの新しいスタンダードを創造・発信

 

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店頭にはグランドメニュー。席に着けば本日のおすすめ黒板も置いてくれます。

 

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店内は、広々とし落ち着いた雰囲気。

 

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壁には独特のかわいい絵が描かれています。

 

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色からもわかるように、エスプレッソの味をしっかりと感じることができます。

 

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本日のおすすめであった"クリームシチューのパイ包み"。実においしそうです。

 

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近くで見ると、これが・・・

 

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こうなる!!美味しくいただきました。

 

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ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。

 

おまけ:店内で流れていたBGM

お店で流れていたBGMを聞けば、お店が目指している雰囲気が大体わかったりするものです。CAFE PARKではこんなBGMがかかっていました。

・Seymour Stein - Belle and Sebastian

・Self Reflections - Gary Marks

・Brown Skin Gal - Blake

・I Won't Lie - Michael Kiwanuka など

 movie: I Won't Lie (Live At Hackney Round Chapel, 2012) - YouTube

 

たまに、youtubeやニコニコ動画で焚き火を映すだけの動画を見たりします。火の中に自分の過去や未来を見たり、火の音に心を落ち着かせることができます。 

 

 

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*引用/参考資料

1, 進化論 - Wikipedia

2, The Descent of Man, and Selection in Relation to Sex - Wikipedia

3, THE DESCENT OF MAN, AND SELECTION IN RELATION TO SEX by Charles Darwin

4, チャールズ・ダーウィン - Wikipedia

5, 相互扶助 - Wikipedia

6, 人類の起源と進化 - 黒田末寿/片山一道/市川光雄(有斐閣/1987年12月)

7, 人が歩んだ500万年の歴史〈1〉人はどこからきたか - 瀬戸口烈司/木村しゅうじ(岩波書店/1995年4月) 

8, 人が歩んだ500万年の歴史〈2〉人のはじまり - 瀬戸口烈司/木村しゅうじ(岩波書店/1995年5月) 

9, 人が歩んだ500万年の歴史〈3〉新しい人類のは登場 - 瀬戸口烈司/木村しゅうじ(岩波書店/1995年7月) 

10, 人が歩んだ500万年の歴史〈4〉文明へのとびら - 瀬戸口烈司/木村しゅうじ(岩波書店/1995年8月) 

11, Archaeologists Find Earliest Evidence of Humans Cooking With Fire | DiscoverMagazine.com

12, Microstratigraphic evidence of in situ fire in the Acheulean strata of Wonderwerk Cave, Northern Cape province, South Africa

11, God of Fire

12, ギリシャ神話 - 石井桃子/富山妙子(のら書店/2000年11月)

13, ギリシャ神話の神・女神|プロメテウス

14, ギリシア神話 - Wikipedia

15, Greek mythology - Wikipedia

16, Ancient Greek Myths | National Geographic Kids

 

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亡霊が語りかけること / 目の感情 × 記憶の引き出し / ボルタンスキー × アニミタス × 庭園美術館

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目が伝える感情

記憶からくるなつかしさ

クリスチャン・ボルタンスキー

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心揺さぶられた展覧会"アニミタス"

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東京・目黒駅から徒歩10分ほどの場所にあり、敷地内に豊かな緑が広がる「東京都庭園美術館」。そこで2016年後半に一つの展覧会が行われた。

『クリスチャン・ボルタンスキー アニミタス-さざめく亡霊たち』

期間:2016年9月22日(木・祝)–12月25日(日)

会場:東京都庭園美術館(本館・新館ギャラリー1・2)

HP:http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/160922-1225_boltanski.html

アクセス:東京都庭園美術館|来館のご案内

map:Google マップ

 

ボルタンスキーが伝えること

 movie: Boltanski interview - YouTube

フランスの現代美術家"クリスチャン・ボルタンスキー"。1944年にパリで生まれ、12歳で学校を退学した彼は、その後独学で絵画や芸術を学んだ。1968年には初個展を実施。彼の作品には、ユダヤ人である父の差別経験が影響されており、"生(存在) × 死(消滅)"がテーマとなっている。遺物に宿った時間や記憶を、映像や制作作品を通して表現している。そんなボルタンスキーの東京初展覧会に足を踏み入れた。

展覧会名の"Animitas アニミタス"とはスペイン語で"小さな魂"という意味。自らを"埋葬者"と語る彼が、歴史ある庭園美術館という場で"亡霊たちのセレモニー"を行う。例えば、チリの砂漠にある祭壇(彼が訪れた場所)に漂う死者への思い出という亡霊、歴史的な庭園美術館が培ってきた記憶という亡霊、また、それぞれの先祖がいたからこそ形成される人間の顔という亡霊などだ。そういった「過去の出来事や人々がいたことで残る亡霊が語りかけること」について、作品を通して参加者に語りかける。

本展覧会では、新作『さざめく亡霊たち』や過去作品のアレンジとなる展示もあり、コンパクトながら、見応えたっぷりな内容となっていた。

[作品一覧]

・2016年『さざめく亡霊たち』・・・声の反響を使った作品。作家・関口涼子氏の作成したフレーズを、庭園美術館の建物の特性を生かし響き渡らせた。

・2013年『眼差し』・・・ギリシャ人の身分証明書の顔を、先が透ける薄い布に印刷する。その様々な目から発せられる感情を感じられる作品。

・2015年『帰郷』・・・メキシコでの作品。重傷者を包むために使われる衣服を山にし、金色の覆い"エマージェンシー・ブランケット"で包む作品。金は存在感と災いを想起させる。

・2014年『アニミタス』・・・チリの砂漠に600個の風鈴を設置した作品。今回の展示では、その場の映像を巨大スクリーンに映して表現された。

・2016年『ささやきの森』・・・森の木々に風鈴を設置。訪れた人の愛する人の名前が書かれた風鈴は、思いが含まれた音となって響き渡る。

・2008年『心臓音』・・・録音した人の心臓音。人それぞれ音もリズムも異なり、人の生命の違いを感じる。今回は、赤い電球と鼓動のタイミングをリンクさせて表現。

・1984年『影の劇場』・・・おばけや骸骨をイメージさせる切り紙をライトで間接的に照らした作品。

大変お恥ずかしながら、僕自信はボルタンスキーについてほぼ無知だったのだけれど、展示に行って色々と感じることがあったのでここに残しておきたい。僕の感じたことや言葉の中で、何かを見つけてもらえたらうれしい。

 

『眼差し』『帰郷』

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人が写真を見るときに一番反応がいいのは、"人の目"だという。

スマフォをスクロールしても、きっと一番手に止まるのは、人が映ってこちらを見ている写真だろう。 なぜだか2016年の後半になってから、「目」に出会うことが多くなった。2016年冬にワイアードの出版イベントに行った際もEs Devlinの演出で目が使われていたし、今回のボルタンスキーでも『眼差し』のコーナーで使われていた。これは何かの戒めだろうか?でも、そのどの目も別にこちらを見ているわけではなくて、むしろその目の持ち主が自分自信を見つめているような目だった。主張しているような、寂しそうな、遠くを見るような、そんな目だった。目はコミュニケーションのツールのようで、自分を見つめるための目でもあるのかもしれない。そして、目の中に記憶や思い出が宿っているのかもしれない。

そういえば、二人で食事をする時はいつも不思議に思うことがある。カウンターで話をすれば相手に話しているようで自分に話しているような感覚になるからだ。それは、自分という目と会話をしているからかもしれない。一方で、テーブルで対面になると、急に相手と会話している気持ちになるし、恥ずかしくなったりもする。相手の目が自分を掘り下げているような感覚なるからだろうか。

2017年は"会う"ということを増やしていきたいと思っている。それはたくさんの色々な目と出会うということなんだと思った。

 

『アニミタス』『ささやきの森』

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人が"その場の空間にいる"と感じるために五感を使っていることに改めて気がついた。

目で景色を見て、鼻で香りを感じ、耳で音を聞き、肌で空気に触れ、口で呼吸をする。そして、空間を感じた経験は、次に脳の記憶に刷り込まれる。その記憶は五感と直結した記憶になる。だから試しに、目を瞑っても香りや音があれば景色が見えるし、耳を塞いでも景色や香りがあれば音が聞こえてくる。そう思うと、記憶って"引き出し"のようだ。

僕は『アニミタス』『ささやきの森』の空間にいると、2016年夏に行ったチリ・イースター島のことを思い出していた。強風で流れる雲、気まぐれな天候、波の音。四駆の窓からの景色に、美味しそうに草を食べる馬と緑の匂い。今、目の前にある作品と、自分の中にある記憶が結びついて、引き出しが開いた。そんな感覚があった。そう思うと、「五感を満たすことができれば、人は現地にいなくて現地に行ける」のかもしれない。

きっと今回のボルタンスキーの展覧会のことも別の引き出しに仕舞われたはず。そして、今後出会う何かに出会った時、僕は今日のことを思い出すための引き出しを開くのだと思う。

 

扉を開いていこう

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亡霊を意識すると、自分の周りの環境は自分以外の誰かがいたから作られてきたんだな、ということに改めて気づいた。だからこそ、展覧会に行ったり、映画を見たり、誰かと話をしたりすることで、自分以外の世界を自分の中に取り入れることができるのだとわかった。それは、自分では持っていない世界を自分の中へエキスとして注入し、自分なりに消化することで、新しい自分の世界が開けるということだろう。また、その自分の世界が誰かに影響を与えることができれば、とてもうれしい。

人の目を見て、自分の引き出しを増やして、新しい扉をどんどん開いていこう。その先には、自分の見たことのない世界が待っているはずだ。

 

おまけ:新年のご挨拶

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2017年、明けましておめでとうございます。

2016年4月よりスタートした"monokann"も一歩一歩進めることができ、2017年を迎えることができました。始めた当初は探り探りで、自分の頭の中でのモノカン(物事を考えること)を言葉に乗せてきました。そうこうしている内に、自分には足りない物があることや、知りたいこと・知らないことがまだまだあることにも気づきました。だからこそもっと世界を広げていきたいと思うようにもなれました。また、#奇怪な物を見に行こう というテーマの下、日常に潜む不思議や奇妙な存在を取り上げることで、読者の方も含め「頭の中の固定概念を壊したい!」という思いにもなりました。

2016年のmonokannでの後悔は、"週に1度の更新を目標"と掲げながら、1ヶ月に1回などの投稿になってしまったことです。自分が納得いく答えや考えに至るのに時間がかかりすぎてしまったことに申し訳なさを感じます。でも楽しんでやっていました。イェイ。2017年は、なんとか更新頻度を上げて、読者の方の新しい発見や考えと出会えるようにできればと思っています。

ではでは、2017年度、それ以降も、どうぞmonokannをよろしくお願いいたします。

monokann

 

 

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 *引用/参考資料

東京都庭園美術館|クリスチャン・ボルタンスキー アニミタス-さざめく亡霊たち

TOKYO METROPOLITAN TEIEN ART MUSEUM|Christian Boltanski Animitas – Les âmes qui murmurent

Christian Boltanski - Wikipedia

Christian Boltanski | artnet

Christian Boltanski born 1944 | Tate

Boltanski: Es importante nombrar al desaparecido - Grupo Milenio

Foux de fa fa contemporary exhibition design: Christian Bolanski

Alexander S. Onassis | International Online Magazine

 

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